グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

3,000語でどこまで英語が話せるか

きのう次のような記事を書いたのだが、実はこれも現実的には正しいはずだけれども細かい所は相当に不正確というか、大雑把な議論をしているのでもう少し詳しく説明をしようと思う。

globalizer-ja.hatenablog.com

「3,000語で英語しゃべれるの?」といっておいてなんだが、本当のことを言うとある意味、英語というのは英単語を3,000語知っていればほとんどの事を話す事ができる。

3,000語といっても多いか少ないかわからないし、まあせいぜい言葉の表現の膨大さを考えるとずいぶん少ないかな、と思うくらいだと思うが、3,000語というのは相当に多い。

僕が前回の記事を書いたときにまず考えたのは今の時点で2,136字ある常用漢字のことだった。

常用漢字一覧 - Wikipedia

常用漢字というのはつまり日本人が日常的に使っている漢字の事だから、上の一覧表を見ても分かるように相当に難しい字も入っている。

曖昧の「曖」、語彙の「彙」、謁見の「謁」、才媛の「媛」、諧謔の「謔」など平均的な日本人はまず書けないだろうし、漢字一文字を取り出してみたら何の事か分からないような漢字までこの2,136文字の中に入っているのだ。

つまり日本語というのはすべて、漢字2,136字に平仮名50字を合わせた2,186文字で表すことができるのである。

もちろん日本語の単語はこの2,136文字から2,3文字を取って組み合わせる場合が多いから、日本語を使うのに必要な語彙は2,136を大幅に上回るが、それでも2,136語を知っているだけで相当な事が表現できそうだという感じはする。

だから、漢字でいうと「彙」とか「謔」のような文字を考えても2,136文字にしかならない事を考えると、英単語で3,000語というのは決して少ない語彙数ではない。

実際、オックスフォード学習英英辞典(OALD)の定義は'The Oxford 3000'という3,000語ほどの基本的な英単語で記述されている。

【DVD-ROM付】オックスフォード現代英英辞典 第9版

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なので、ある意味英語というのは3,000語あればほとんどの事を表現できるし、実際に英語を使う上で絶対に必要不可欠だと思う語彙をいくつか考えて'The Oxford 3000'のリストを見てみると、大抵のものは載っている。

http://www.oxfordlearnersdictionaries.com/wordlist/english/oxford3000/

一方、3,000語に載ってない単語は3,000語にある語彙を使って言い換える事ができる。

例えば、OALDでprovokeという語を引くと次のような定義がある。

to cause a particular reaction or have a particular effect(何らかの反応を引き起こすこと、または何らかの効果を及ぼすこと)

http://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/provoke

だから、provoke a violent protest(暴力的な抗議行動を引き起こす)という代わりにcause a violent protestと言っても意味は通じる。

provokeよりcauseのほうが使用範囲が広いから、causeを使ってもいいわけである。

 

それじゃあ、英語を話すにはcauseのように基本的な3,000語程度の単語の使い方を勉強するだけでいいじゃないか、と思うかもしれない。

実際に英語教師は年がら年中そんな事ばかり言っているわけだが、しかしこれは実際にはうまくいかない。

問題は、こういう基本的な単語を使って英語を話すにはそれなりの英語力が必要になるという事だ。

 

たとえば「無口である」という意味のreticentという単語がある。

もちろん、「無口である」という事はreticentという単語を使わなくても言い表せる。

「彼は無口である」といいたいならば'He does not talk a lot'とでも言えばいいだろう。

しかし「彼は多く話さない」という英語的な表現は英語初心者にはすぐには浮かばない。

talkとかlotという単語を知っていても表現が思い浮かばなければどうしようもない。

ところがreticentという言葉を知っていた場合、「彼は無口である」と言いたい場合は「ヒー・イズ・レティセント!」と言えばいい。

日本人にとって「彼は無口である」といいたい場合、reticentという単語を使った方が基本的な単語を使うよりも圧倒的に簡単なのである。

基本的に、高級な語彙は使うのが簡単である。

たとえば「イベントは無期限延期になった」と言いたい場合、日本人にとって一番簡単な言い方は'The event is postponed indefinitely'であるだろう。

ここでpostpone(延期する)とindefinitely(無期限に)という単語を知らないと、同じことを言うのは相当難しくなる。

'The event is cancelled and we do not know when it will take place'とでも言えばいいだろうが、どう考えても「イベント・ポストポーン・インディフィネイトリー!」と単語を並べる方が英語初心者にとっては現実的だ。

高級な語彙が表す内容を基本的な単語を使って言い表すのは、高級な語彙を覚えるのとは比べものにならないほど難しい。

英単語というのは簡単に覚える事が出来るが、基本的な単語の使い方を覚えるというのはとりとめがなく、単語を覚えるよりもはるかに困難な作業である。

だから「3,000語で英語を話すなんて無理」という主張は、ウソのようでウソではない。

もちろん、アメリカの貧困地区に住んでいる高校中退みたいな感じの人々は3,000語の世界に住んでいるのだろうが、日本人が同じ事をしようとしても仕様がない。

会話力の欠如は語彙を増やすことで補うほうが、特に英語初心者の場合はどう考えても現実的だと思う。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

3,000語で英語しゃべれるの?

「6年英語を勉強しても話せない」みたいな事をいっている人を見ていて不思議に思う事がある。

一体、高校までに学習することになっている語彙数でどうやって英語を話すというのか?

日本人が高校を卒業するまでに平均してどれくらいの英単語を知っているのかは分からないが、文部省によると高校を卒業するまでに3,000語を学習するということになっているらしい。

3,000語で英語を話すなんてどう考えても無理である。

それでは一部の限定的な話題については話せても、それ以外の事になると立ちどころにどう話せばいいか分からなくなる。

今の日本人に英語を話せというのは3,000語で言いたい事をなんでも話せというようなもので、そう考えると今の英語教育の現状というものがいかに気違いじみたものであるという事が分かるだろう。

日本人だって、もし日本語を3,000語だけで話せと言われたら話せる事はほとんどなくなる。

語彙が3,000語しかないのに言葉が話せないのは当たり前の話で、逆にその程度の語彙しかないのに意味のある言語活動が出来ると考える事自体がおかしい。

しかも、学校で勉強する単語なんて毒にも薬にもならないような全然使えない単語が多いから、英語を話すのはなおさら無理である。

僕がよくわからないのは、英語英語と言っている連中で日本人の語彙数が少なすぎる事を問題にする人が全く見当たらないという事だ。

英語の語彙を増やすというのはやれば確実に出来る事なのに、なぜこの問題に全く無関心でいられるのか僕には全く理解できない。

もし日本人がみんな英単語を10,000語知っていたら、英会話の経験など一度もなくても日本人の英会話力は劇的に改善するだろう。

まともに英語を話せるようになるにはもちろんそれなりに時間がかかるけれども、その一方で言葉というものは知っている単語を並べるだけで意味が通じるというのも事実である。

たとえそれが単語を並べるだけの片言の英語だったとしても、どうすればいいのか全く分からずに作り笑いを浮かべて黙り込むのとでは比べものにならないほどの違いがある。

日本人が英語ができないのは語彙が足りないからで、ほかの問題ははっきり言ってオマケにすぎない。

日本の英語教育に関しては語彙力の向上をなによりも優先するべきだ。

英会話などいくらやっても曖昧な成果しか得られないが、語彙数が増えればそれだけで確実に語学力は向上するからである。

続き

globalizer-ja.hatenablog.com

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英単語10,000語を覚えるのにはどれくらいかかるか

先日、英単語10,000語覚えるのには100時間もかからない、というような事を書いたのだが、それに対して1時間あたり100語も覚えるのは無理なんじゃないか?というようなコメントがあった。

globalizer-ja.hatenablog.com

これについてまず言っておかないといけないのは、100時間で10,000語というのはある意味スローガンみたいなものだということだ。

スローガンというのはシンプルなものにしないとメッセージがぼやけてしまうので、あえて非常におおざっぱな表現を使っている。

どんな場合でも100時間あればぜったいに10,000語覚える事ができると言いたいのでもない。

たとえば、英語が分からないという人がいたとしても、早慶上智当たり前、というような感じの進学校の出身者と勉強が嫌い過ぎて高校中退、という人を同じと考えるわけにはいかないだろう。

英語の勉強を始めるにしても人によって出発点は全然違うから、10,000語を覚えるのにかかる時間も人それぞれ違うのは当たり前である。

しかし、それでも僕は10,000語を覚えるには100時間、というのは目安としては絶対に正しいと思っている。

僕が英語を勉強した時の事を思い出しても、10,000語くらい覚えるのに100時間を大幅に超える量の勉強をしたとは絶対に思えない。

怠けもので集中力がすぐに消え去るタイプの僕がいうのだから間違いではない。

しかしそんな事をいっても仕方がないので、以下にどうして10,000語を勉強するのに必要な時間が100時間くらいで済んでしまうのかを説明しようと思う。

英語が分からない人でも、すでに数千語の単語を知っている

日本語には大量の外来語が入っているから、英単語を覚えるといっても外来語になっている単語は覚えなくてもよいし、新しく覚えるにしても外来語の派生語になっているものは楽に覚える事ができる。

たとえばaccelerate(加速する)という単語があるけれども、日本語にも自動車のアクセルという単語があるからこれを足掛かりにすればaccelerateという単語を覚えるのは簡単である。

映画でも「ターミネーター」という映画があるけれども、これはterminate(終結させる、転じてとどめをさす)という英単語に相当する。

だから、日本人はある意味では英語を勉強していなくてもaccelerateとかterminateというような英単語を半分知っているようなもので、その分10,000語を覚えるコストが軽減される。

何となく覚えている単語が大量にある

日本の大学を受験するのに必要な語彙数といのはおよそ5,000語ぐらいと言われているけれども、大学受験が終わって何十年たってもそういう単語はなんとなく覚えているものである。

よくあるのは、単語のスペリングとか発音は大体覚えているけれども意味をわすれているというケースで、こういう単語の意味を覚えるのはこれまで聞いた事もない単語を覚えるよりもかなり楽である。

もちろん、今でも意味を覚えている単語は新しく覚える必要がない。

一度使った単語は覚えやすい

先ほどの記事ではあっさり書いたが、僕が英単語を覚えていた時はネットでイギリスの新聞の記事を読んで覚えなければいけない単語をリストアップして覚えていた。

新聞でよくでてくる単語も知らないようではどうしようもないし、このようにすれば下らない単語を覚えずにすむからだが、この方法には他の利点もあって一度読んだ文章に出てくる単語というのは記事の印象がある分記憶に残りやすい。

もちろん必要な単語のリストを作成する作業は時間がかかるが、リストが一度できてしまえば非常に効率的に単語を覚える事ができる。

というか、リストを作っている過程ですでに内容を半分くらい覚えてしまっているので、リストにある単語を覚えるのには100時間もかからない。

もっとも、これは個人的な印象だが、リストを作成する時間がないなら分冊になっているような10,000語レベルの単語集を使っても大幅に時間がかかるということはないと思う(だから10,000単語を覚えるには100時間あればよいという主張をしている)。

1時間で繰り返せる回数はかなり多い

説明のためにたとえ話をするとすると、もし50単語を覚える必要があるとしたらこの50単語を1時間にどれくらい回せるだろうか。

もし一つの単語につき5秒づつ見ていくとしたらこの50単語を見るのに250秒くらい、つまり4分くらいになる。

5秒というと短いようだが、実際にカチカチ音がする時計の前で数えてみると(まあ、心の中で数えてみてもいいが)結構な長さである。

これを一時間に15回繰り返せば、ある程度は忘れるにしてもかなりの部分が記憶に残る。

真面目にやると1時間というのは結構長い。

やってみたらわかる。

まとめ

正直あの記事がこれほど読まれるとは思わなかったのでちょっと適当に書きすぎたかな、という感じはするが、基本的には間違った事は言っていないと思う。

英語を勉強する人は騙されたと思ってやってみてほしい。

英単語を10,000単語覚えるのは、想像するよりも100倍くらい簡単である事がわかるはずだ。

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なぜ「英語を勉強して損した」という話を聞かないのか

英語の勉強でよくいうのは、「普通の日本人が英語を勉強しても意味がないよ」というような話だ。

つまり、日本に住んでいる限り仕事で英語を使わなければいけない人以外は日本語で用事が全部済んでしまうので、英語を勉強するメリットがぜんぜんない、という事である。

これはここでいう「用事」が何であるかによって意味合いが全然異なってくるのであるが、とにかくそういう事を言う人は少なくないし、だから国際化国際化と大騒ぎをしても英語を勉強しようとする人は一向に増えない。

とはいえ、英語というのは日本人全員が一応勉強するものなので、それなりに英語を勉強する人はいる。

そして、英語を勉強している人は必ずしも、将来の実利を見込めるからという理由で英語を勉強しているわけではない。

英語を勉強する必要がある人だけを対象にしたのでは、英語産業などはとても成り立たないだろう。

だから、英語を勉強してそれなりの英語力を身に着けたとしても全然「キャリア」の得になっていない人というのは沢山いると思う。

しかし、それなのに「英語を勉強して損した」という話は全然聞こえてこないし、少なくとも僕はいままでそういう事を言っている人を見た事がない。

それはなぜなのだろうか?

 

英語をまともに使えるようになるには何千時間もかかるようなイメージがある。

それは実際にそうで、ある程度英語が分かるようになるにはやはり何千時間もかかる。

しかし、それでは英語そのもの?を勉強するのにどれくらい時間がかかるかというと、じつは大して時間はかからない。

僕はとりあえず英語のテレビをみても何を言ってるのか全部わかるし(ただしフォーマルなものに限る。映画とかドラマ、他の口語的なものは分からないし興味もない)、洋書や雑誌、新聞などを辞書なしで読む程度の事は出来るけれども、多分英語の勉強には百時間もかかっていないと思う。

英語の勉強というのは簡単で、一通り高校生が読む英文法の受験参考書を読み、英文解釈の参考書を読み、知らない単語を10,000単語くらい覚えればそれで終わりである。

具体的に僕がやった事をいえば、「MASTERY高校新基礎英語」という文法書を読んで、

MASTERY高校新基礎英語

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「英文解釈教室」を読み(本当は3回くらい読むべきなのかもしれないが、大体内容が分かったという事もあり2回しか読んでいないけれども)、

英文解釈教室 改訂版

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知らない英単語を片っ端から10,000語くらい暗記するだけで他にはなにもやっていない。

あとはネットで新聞を読むか、Kindleで洋書を読むか、スカパーでBBCを見ているだけなわけだが、実はこれは日本語の情報にアクセスする代わりに英語の情報にアクセスしているだけなので勉強をしているという意識があまりない。

だから純粋に英語を勉強した時間というのは文法書と英文解釈の参考書を読んで、洋書とかネット記事から拾ってきた知らない単語を覚えるのにかかった時間を合わせてもせいぜい数十時間だと思う。

他の人も大体は同じようなものではないだろうか。

そういうわけだから、もし英語が「キャリア」に役に立たなかったとしてもせいぜいこの数十時間がムダになるだけなので、別にどうという事はない。

英語情報にアクセスする時間をムダというにしても、それは直接的な利益につながらないような日本語の本や新聞、雑誌などにアクセスして時間をムダにするというような程度のムダでしかない。

もっとも、実際に日常的に英語情報にアクセスしている人で英語なんか勉強しても意味なかったな、と思っている人はいないと思う。

なんだかんだ言って、英語が分かると面白い。

実利に結びつくかどうかはともかく、とりあえず面白いからどうでもいいや、という感じである。

英語の世界というのは日本語の世界(翻訳の世界を含む)とは全然違った世界なので、そういう世界があるという事を知るというだけでも英語を勉強する意味がある。

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新しい日本が始まるのはいつ頃になるか?

以前から言われている事だが、日本というのは80年周期で盛衰を繰り返すという話がある。

たとえば大日本帝国(大日本とか自分で言っているのがすごいと思うが、これは中国人が使っていた「小日本」の対となる言葉であろう)が破綻した1945年の40年後、つまり1985年に日本はどうだったかというと、空前のバブル景気が今まさにはじまろうとしていたところだった。

いまから見たらその好景気はフェイクだったわけでバブル景気下の日本をどう評価するかは難しいが、今この時代の日本の文化をみてもとりあえず当時の日本はものすごい勢いがあったという事はわかる。

一方、1945年の40年前の1905年に何があったかというと、この年は日本が日露戦争でロシアに勝利した年に当たる。

今から考えると、白人を相手に戦争をするなんていう恐ろしい決断がよくできたものだと思うが、こういう決断が出来たという事はその当時の日本にはバブル景気下の日本と同じくらいの勢いがあったのだろう(逆にロシア帝国の国力は大幅に衰えつつあった最中であり、日露戦争の敗戦の影響もあってロシア帝国は1917年に崩壊する)。

そのさらに40年前、つまり1865年はちょうど300年続いた幕府が崩壊した時期に当たる。

明治時代、つまり西洋化されたバージョンの日本が始まったのは1868年であり、これは「民主化」されたバージョンの日本が始まった時期から見れば80年ほど前の事だった(現行の日本国憲法が施行されたのは1947年)。

そういうわけで、最近の日本を見ていると80年くらいでだめになった旧来の体制が崩壊し、そこから新しい日本が始まるという傾向が見られる。

前に新しい日本が始まったのは1945年だから、次に新しい日本が始まるのは2025年という事になる。

もっとも明治維新から40年前の徳川幕府が繁栄していたようにはとても見えないからこんな傾向はあまり当てになるものではないが、そうとはいっても1945年に始まった日本が80年後の2025年に崩壊して新しい日本が始まる、という予想にはある程度のリアリティーがある。

2025年というとあと8年だが、たしかにいま日本を食い物にしている老害から下の世代に権力が移行するにはそれくらいかかるかもしれない。

老害がいままでのやり方を続けようとするのは当然の事で、「大東亜戦争」も役人的には続けた方がラクだからズルズルと1945年まで続いた。

今の日本というのは幕府みたいなものだからこのまましばらく何十年もズルズル続くという事もかんがえられるが、もしかしたら幕府が崩壊するようにあっけなく終わって新しい日本がそこから始まる、という可能性もある。

黒船とか大東亜戦争みたいな大イベントが起こるかが一つのポイントになるだろうが、とにかくそのときに新しい日本の革命が何になるか?というとこれは官僚制の組み換えとITの活用が重要な意味をもつんじゃないかと個人的には考えている。

社会を動かすイデオロギーも、idealistic(理想主義的)なものからpragmatic(現実主義的)なものになると思う。

いづれにせよ、今のバージョンはもう限界なので新しいバージョンを作り直さないといけない時期である。

この80年周期説に基づくと今の状況は1937年と同じようなものということになるわけで、これからどんなひどい事があるかわからない。

しかし、日本人というのは体制が崩壊しても新しい事を始めるだけのエネルギーがある民族なので、まあ大丈夫なのではないだろうか。

8年というと長いようだが、具体的に8年で出来る事となると普通それほど多くはない。

以上、無責任にもいささか希望的な思いつきを書いたけれども、日本で明治維新みたいな革命がそのうち始まるかもしれないという事を頭において、出来る事をやっていきたいものだ。

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英語をキョドらずに話す方法

先日、日本人はどうして英語を話すときにキョドりまくる理由についてエントリーを書いた。

globalizer-ja.hatenablog.com

エントリーに書いたように、日本人のキョドりまくりの英会話というのは究極的には文化的な問題なのだが、しかし直接的には日本人の英語に関する勉強とか、練習の仕方がおかしいことに大きな原因がある。

正直、世間で行われている英語の勉強法をやったところで、大抵は英語コミュ障にしかならないと思う。

英語コミュ障になるような事をやっているなら英語コミュ障になるのは当たり前で、日本人の英語が駄目なのはつまるところ英語の勉強の仕方が駄目だから駄目であるというだけの話にすぎない。

もしまともな方法で英語を勉強すれば、英語というのは誰でもキョドることなく話すことができるようになる。

それでは英語をキョドらずに話せるようになるにはどういう事に気を付けたらいいのか、ということで、今回は僕が考えるいくつかのポイントを紹介する。

英文を暗唱したり音読したりしすぎない

自然な英語を話すには英語を暗唱したり音読をしたりすればいいように思えるけれども、僕は英語の暗唱や音読ばかりするのは英語学習者にとって非常に危険なことだと考えている。

そういう事をすると、知っている英文に言いたい事を無理やりねじ込んだようなものすごく気持ち悪い英語を使うようになる。

更に悪い事に、世の中で出回っている暗唱用の英文というのは非常に質が低い事が多いというか、気持ち悪い英語のオンパレードであることが多い。

こんなものを覚え込むなんて頭にゴミを突っ込むようなもので、ゴミをいくら突っこんだところでゴミが出てくるばかり、という結果になる。

はっきり言って、英語の暗唱とか音読を薦めている人間でまともな英語を使っている人を僕はほとんど見た事がない。

日本人の気持ち悪い英語というのはかなりの部分、英語の暗唱とか音読の習慣から来ているのではないだろうか。

もちろんそういう英語は気持ちわるくても間違っているわけではないから意味としては通じるのだが、そのような英語を使っていると後々になって色々とネガティブな影響が出てくると思う。

一般に、アングロサクソン系の人間は得体のしれない英語を警戒する。

もちろん、まともな教育を受けた英語話者は日本人が英語を勉強することがどれほど大変かを理解しているのでおかしな英語には寛容だが、しかしおかしな英語をなんとも思わずに使い続ける人間と、できるだけまともな英語を使うように努力をする人間とでは与える印象は全く違うという事は意識をしておいたほうがよい。

もし相手の心証が良ければ、当然こちらがキョドる局面は少なくなる。

だから、英語の勉強は勉強の結果身に着くだろう英語が相手にどのような印象を与えるかを考えにいれて行うべきだと思う。

たしかに僕も、短期間で英語をある程度使えるになるには英文を完全に覚えてしまうまで暗唱するという方法が一番確実なのではないか、という意見には同意する。

しかし、短期間で英語を勉強する必要がある事情があったとしても、この方法はあくまで自転車の補助輪のようなものであるというか、一時的に緊急的な手段として使うだけであまり深入りはしないほうがいい。

ピンポイントで使える高級な単語を覚える

よく英語教育業界では、英語初心者はあまり単語を覚える必要がない、みたいな喧伝が行われるが、僕は逆に初心者こそ単語を覚えるべきだと思う。

英語の表現を覚えるより、新しい単語を覚えるほうが簡単だし時間もかからないからだ。

特に、日常生活ではあまり出てこないようなフォーマルな言葉を覚えておくといろいろな局面で役に立つ。

英単語の中には、一言いうだけでものすごい多くの事が表現できるものがある。

たとえば、僕が好きな英単語にsalutaryという単語がある。

これは日本語でいえば「良薬口に苦し」という表現に当たる言葉で、厳しいけれども有益だったり、ためになるような事をいう。

こういう言葉というのは英語が苦手な段階でこそ助けになる。

例えば片言の英語しか話せないのに、いきなり他人の意見に対するコメントを求められたという状況を考えよう。

この時に'His advice is good'と言ったのでは、一体何がいいのか全く分からない。

ところが、ここで'His advce is salutary'と言えば、言いたい事がはっきりと相手に伝わるし、英語が片言でもこのような単語がたまに入ってれば相手に与える印象も全く違う。

salutaryという単語は普通、初心者が学ぶべき単語であるとはされていない。

しかし、salutaryという単語は非常に強力で威力がある単語であり、英語初心者の語学力不足を補ってくれる単語である。

このような単語を一つ一つ覚えていくことが、キョドらずに英語を話すには重要である。

人文系の洋書にはこのような単語がたくさん出てくるので、必要に応じて覚えていけばよいだろう。

関係代名詞と分詞構文を習得する

日本人のだめな英語を聞いていると、まるで小学生の作文みたいだな、と思う。

「きのう、ぼくはレストランに行きました。そして食事をしました。とてもおいしかったです」

とか、そんな感じだ。

まあ、この例文は例としてはちょっとアレだが、とにかくだめな日本人の英語は何から何までこんな感じで、関係代名詞と分詞構文の使い方も知らないから言いたい事を一つのフレーズにまとめることができない。

まとめる事ができないと、言いたいことをいちいち小学生の作文みたいに分解しないといけない。

もし日本人全員が関係代名詞と分詞構文の使い方を勉強したら、それだけで日本人の英語はずいぶんマシになるだろう。

このような知識はなぜか高級な事のように思われているような気がするが、関係代名詞と分詞構文は初心者にとって非常に重要である。

関係代名詞と分詞構文が使えないというのはものすごいハンデで、これが使えないと英語を話す難易度は跳ね上がる。

上級者ならばこれらを使わない言い方を見つけられるだろうし、英語圏でも教育のない人は前置詞だけでいいだろうが、英語初心者だとこれなしではどう言えばいいのかわからない局面が次々とでてくるし、思いつくままに(つまり臨機応変に)英語を話していくことができない。

とにかく関係代名詞と分詞構文が使えないと小学生の作文みたいな片言の英語しか話せないので、キョドらずに英語を話すには関係代名詞と分詞構文は絶対に勉強しないといけない。

英語を歌うようにはなす

英語と日本語では、発音の仕方が全く異なる。

日本語の特徴というのは発音するときに頬(ほお)に力が入る事である。

くつろいだ状態で話している時にはそうでもないのだが、礼儀ただしく話すときはそうである。

逆に、英語を話すときは基本的に頬には力が入らない。

たとえば、試しに見ず知らずの他人に話しかけるつもりで

「そうなんですよね!」

と言って見てほしい。

そのときにほうれい線のあたりを触ると、そこに力が入っている事がわかるはずだ。

次に、このほうれい線あたりに入っている力を抜いて

'Yeah'

と言って見てほしい。

別にほかの英単語でもいいが、いつもより自然に発音できるはずだ。

日本人が英語を話すと発音がカタカナを並べたみたいになって挙動不審になるのも、ほうれい線あたりに余計な力が入っている事が大きい。

日本語で輪郭のはっきりした音を作るときは頬に力が入るが、英語ではそういう音は喉(のど)で作る。

だから、英語を話すときは意識をほうれい線のあたりから喉(のど)に移すようにすれば、すぐ発音を日本語から英語に切り替えることができる。

片言の日本語を聞いている自分を想像する

なかなか言葉がでてこないというのは気まずいものだ。

どうしても、自分が必死に言葉を探している間に黙って待っているしかない聞き手がイライラしているのではないか、と心配になる。

しかし、それでは本当に相手がイライラしているか、というとそんな事はほとんどない。

これは自分が片言の日本語を話す外国人の日本語を聞いているという状況を想像すれば分かりやすい。

間違いのある日本語を聴くというのはとても面白い経験で、すこしくらい間が空いたとしてもそんな事は問題にはならない。

片言の英語を聴く外国人の立場というのもそれと同じで、相手はこちらの英語を面白く聴いている。

なので、英語が片言でも気を楽にもっていい。

すこしくらい言葉を探すことがあっても別にキョドらなくてもいいのだ。

まとめ

よく「英語を話せるようになりたい」というけれども、この「英語を話す」にはなんとなく「英語をキョドらずに話せるようなレベルになる」というのもあると思う。

語学力というのは総合的なものなので、言いたい事がいえるようになってもコミュ障状態でキョドりながらでは語学力として不完全である。

正直、日本人全員がそのようにして英語を話すようになるなんて最悪で、それならば英語を全く話せない方がマシなくらいだ。

僕は日本の英語学習はキョドらずに英語を話すにはどうすればいいか、を目標にしてなされるべきだと思う。

英語を話せるようになる、というのは曖昧な表現だが、英語をキョドらずに話せるようになる、というのは目標としてより具体的であるからだ。

そして、それはそれほど難しい事ではない。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

なぜ日本人は英語を話す時にキョドりまくるのか

人間の能力にはさまざまあるが、今の日本においてコミュ力ほど尊重される能力はない。

コミュ力というのははっきりしているようで曖昧な力だが、ようはまあ幼稚園から会社などの組織にいたるまで周りの空気に合わせて振る舞う力の事をいうのだろう。

就職などはとくにそうだが、どこもかしこも誰とでもやっていけそうな人材を争奪し、少しでもコミュ力に難がある人間を排除しようと必死である。

日本社会で一度排除されてしまうと大変で、ネットではコミュ力がないとどんな目にあうのかという実例が渦をまいてコミュ障を威嚇する。

そんなわけなので、日本人はだれでもコミュ力を磨くことに必死であり、その努力の結果日本人のコミュ力は相当なレベルに達している、はずである。

実際に世間にはコミュ力にみちみちた人々であふれており、僕にはとてもついていけそうもない。

 

しかし、そんなコミュ充のはずの日本人だが外国人の前となると様子は一変する。

外国人と英語で話すときの日本人のキョドり方は半端ではない。

ひきつった作り笑いを浮かべながら必死になって稚拙な英語を話す有様はまさにコミュ障そのものである。

もし日本でそんな話し方をするオタクかなんかがいたら、その周囲ではたちまちにして嘲笑の嵐が吹き荒れるだろう。

何が不愉快かというと、幼稚な英語しか話せないのならば程度の高い単語なり、知的な内容を表現するのに使える強力な構文を覚えるなりして英語のレベルを上げればいいのに、そのような努力をした痕跡が何一つ見られない。

その有様は、コミュ障をなんとかしたいと思いつつもどうしたらいいか分けが分からず、ひたすら屈辱に耐え続けるしかないコミュ障と全く同じである。

先日もBBCでそんな感じの女を見た。

この女も日本国内では一応コミュ充なんだろうな、と思いながら僕はテレビを眺めていた。

 

どうも日本で考えられているコミュニケーション能力というのは、自分とは違う人間とやり取りをする能力というよりはコミュニケーション能力の欠如をごまかす、というか回避する能力のような気がする。

ここで自分とは違う人間がコミュ障だったら単に排除すればいいだけの話だが(少なくとも短期的にはそうだが)、目の前の相手が英語を話す外人だったら排除するわけにはいかないので本来の意味でのコミュニケーション能力の欠如がばれてしまい、あっというまにキョドりまくりのコミュ障になってしまう。

英語がまともに話せなかったら、周りの雰囲気に合わせる力など何の役にも立たない。

 

日本人が英語を話すと、日本人のだめなところが露骨にでる。

国際化国際化とますます騒がしいこの頃だけれども、国際化が重要というのならばどうして日本人が英語を話すとあんなにキョドりまくるのか、そしてこの日本人のコミュ障状態をどう改善するべきなのか一度よく考えるべきなのではないだろうか。

説明のため日本人、と乱暴な一般化をしてしまって申し訳ないけど、これは本当にそう思う。

続き

globalizer-ja.hatenablog.com

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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