グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

再び自粛は許されない

医療機関が怖れる「6月危機」 夏のボーナス払えない医院も

https://news.yahoo.co.jp/articles/64020d789f27bc95cb1a0581dc5456841c4a293b

東京 新たに34人がコロナ感染 小池知事「東京アラート」検討

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200602/k10012455031000.html

感染者が増えたとしても、もうこれまでのような自粛は無理だろう。なぜなら、世の中には自粛の影響に直撃される人がいる一方で、自粛の影響をまるで受けないどころかリモートワークによって生活のクオリティーが却って向上するような人がいるからだ。この不公平がここまで明らかになっているにも関わらず、これ以上の自粛を続けることは倫理的に許されない。新型コロナウィルスが日本では大した被害を出さないのはもう明らかなことで、さらなる自粛を主張する人間は自分のことしか考えていないと非難されても仕方がないだろう。さらには、これまで景気の影響を受けないとされてきた特権的な業種にも影響が出始めるに及んで、自粛は政治的にも困難になりつつある。開業医すら破綻するような政策を実行することはほとんど不可能だ。結局、コロナウィルス対策は医療崩壊をどう回避するかが全てである。そしてこれは、軽症者を軽症者として扱えば十分に達成できる。これまでの3ヶ月間で、コロナウィルスにどう対処すべきかについて重要な点は理解された。あとは、社会的公正を最大限をすることを目標に、速やかに自粛を解除していくべきなのだ。

真実とテラスハウス

テラハの暴走、現役スタッフが告白 泥臭い人間模様を狙う

https://www.news-postseven.com/archives/20200527_1566605.html

「テラハは全部自分が書いてる」と放送作家告白したとの証言

https://www.news-postseven.com/archives/20140616_261130.html

木村花さん出演の「テラスハウス」 元出演者が“やらせ疑惑”について実名告白

https://dot.asahi.com/dot/2020052800063.html

これまでテラスハウスの制作スタッフにどれくらいの変化があって、どれくらい制作のスタイルが変わったのかわからないけれども、こういうような話って結局はぜんぜんどれが真実なのか検証できない。しかし、考えてみたら、真実を検証することができることなんてほとんどないかもしれないとも思う。今回は騒動のスケールが大きかったために相反した証言が出てきて、これらの話は全部嘘である可能性があるという真実が明らかになった。普通は嘘が書いてあったとしても反論が出てこないから、その嘘を読んだらその嘘をそのまま信じることになる。実際は嘘なのに、真実と信じ込んだままでいいることも結構あるのではないだろうか。だからといって、嘘を信じたとしても生活する上で特に困ったことがあるわけでもない。そもそも、嘘を信じたとしてもそれが嘘であることに大抵はだれも気づかないから問題の生じようがない。テラスハウスみたいな番組はそもそも、真実とは何か?というものがテーマとしていつも背景にある。今回の件については、まさか自分でステージ衣装を洗濯機の中に置き忘れて(なんでそんなことになったのか不思議なのだが)それを洗濯され、ブチギレするのがヤラセであるとは思えないが、テラスハウス以外の番組とか記事なども、こんなのは全部テラスハウスみたいなものなんだろうというスタンスで生活するべきなのかもしれないと思った。

テラスハウス

テラスハウスで初の自殺者が出たために、ネットマスコミではテラスハウスみたいな番組の問題であるとかSNSでの誹謗中傷についての議論が盛り上がっている。なんでそのような議論になるかというと、これらを非難するのは安全だからで、安全なことをいうのが最も重要なメディアの世界で議論の流れがこのようになるのは当たり前の話だ。当たり前の話だが、アクセス数が1日100すら行かないために炎上なんてするはずもないブログだから言ってしまうと、このような結果になった原因が不自然な子育ての仕方にあることは間違いない。ネットに上がっている追悼記事でも、二歳なのに無理やり歩かされたとか、しょっちゅう怒鳴り声が聞こえたとかのエピソードが紹介されている。女子プロレスラーだった母親は女子プロレス関係者が子供をかわいがるのを問題であるとして、その分厳しく育てなければならないと考えていたという。シングルマザーだから色々と余裕がなかったのかもしれないけれども、こんな育てられ方をしたら精神的に不安定になるのは必然的で、テラスハウスでの対人トラブルから自殺へと追い込まれたのも元から自殺願望があったからだろう。そういう状態でテラスハウスなんかに参加したのは最悪の選択だが、人生を変えるきっかけとなるべきテラスハウスがこういう終わり方をしたのは気の毒というほかない。そして、厳しい育児の害悪という本質には見て見ぬ振りをして、ひたすら保身に汲々とするネットマスコミはもう、救いようがなくて吐き気がする。

定年延長中止!

公務員の定年を65才までに延長する公務員法改正案は廃案になるようだ。コロナウイルスにより雇用情勢が悪化する中、公務員の定年が延長されるのは間違っている、という世耕参議院議員の主張に乗った形となった。内閣と敵対してまでこのような主張を行った世耕議員はさすが、「構造改革」の中心にいただけあるな、と思うが、これでなぜ公務員法改正案と検察庁法が抱き合わせになっていたのかがはっきりした。要するに、民主党系の人たちが是非ともやりたい公務員の定年延長を抱き合わせにすれば検察庁法も通るだろうと甘く見たのだ。この幼稚としか言えない政治判断はいまの自民党こと自由民主党を象徴するものだが、国民がまったく気付くことなく実施されるはずだった定年延長を廃止にすることで人気取りに走るのもまた、いかにも自民党こと自由民主党らしい。人気取りではあっても、しかし定年延長を廃止にすること自体はまったく正しい。民間の定年は段階的に延長されるのに、なぜ公務員の定年だけ一度に65才まで延長されるのか?民間と同じように公務員の定年も段階的に延長すべきなのは当たり前で、公務員にだけ有利な制度を導入するのは間違っている。まさか検察庁法と抱き合わせにするために公務員法改正案を立案したのではないだろうが、ともかく黒川氏も7000万の退職金を手に民間人になることだし、今回の騒動で改正公務員法案という間違った法案が廃案になるとすればそれは非常によかったと思う。

甲子園中止!

高校野球連盟などのステークスホルダーがオンラインで会議を開き、甲子園の中止を決定した。もっとも甲子園の中止はもともと決まっていたようなものだから、この会議は中止の決定をどのように発表するかの打ち合わせのようなものだったに違いない。なにせ高校野球というのは「教育の一環」なのだから、生徒の(「球児」というのは野球選手である以前に生徒である)生命の安全が損なわれることがあってはならないのである。万が一野球部屋で集団感染が起きて、勝武士みたいになる球児が出たらそれこそ大変だ。というわけで甲子園中止は当然の帰結であるわけだが、スポーツ教育学的に今回の中止は重大な意味を持つ。意味を持つというか、これは千載一遇の大チャンスであると言ってよい。今年甲子園が無くなった世代の野球選手は、甲子園が開催された世代の野球選手と異なったメンタリティーを持つはずである。この中止によって、甲子園がある場合とない場合とでいったいどのような違いが生じるのかを観察することができるのだ。甲子園というのはあまりにも華やかな舞台であるものだから、その負の影響もまた強烈である。甲子園出場がその後の大活躍の第一歩となったケースはいくらでもあるだろうが、甲子園のせいで人生が狂ってしまった選手は一人や二人ではないと思う。甲子園が本当によいものであるかは自明ではない。今年の夏の甲子園は中止になった。甲子園が中止になることで、我々は甲子園とは何なのかを初めて知ることになるだろう。

Tweetの訳語は「投稿」でいいんじゃないの?

(社説)検察庁法改正 やはり撤回しかない

https://www.asahi.com/articles/DA3S14477736.html

与党の対応も厳しく批判されねばならない。答弁に不安がある法相を委員会に出席させず、野党欠席のまま審議を進めたり、「国民のコンセンサスは形成されていない」とツイートした泉田裕彦議員を、内閣委員会から外す措置をとったりした。

↑この一文を読んで大変に驚いた。Twitterができて10年以上経つけれども、マスコミでTweetを「ツイート」と表記するのを初めて見た。これまでマスコミはTweetを「呟き」と訳してきたが、この訳し方に当初からものすごい違和感を感じてきた。なぜかというと、そもそもにしてtweetは全然「呟き」ではない。OALDで元々のtweetの意味を調べると

​the short, high sound made by a small bird(小さい鳥が発する短く鋭い音)

となっている。これを「呟き」と訳すのはどう考えても無理がある。はっきりいって、Tweetの訳語は「投稿」でいい。別に「ツイート」と訳しても問題はないと思うが、日本語としてややこなれていない。長期的には、Tweetの訳語は「投稿」になるのではないだろうか。もちろん、「ツイート」でも「呟き」よりはましだから、最終的にどちらが定着するのかはわからないが、いずれにせよ「呟き」という変な訳語が消滅するのは時間の問題だと思う。

夏の甲子園は平等に中止される

夏の甲子園、中止へ センバツに続きコロナで球児の夢が…20日...

https://hochi.news/articles/20200515-OHT1T50012.html

「球児」の夢が、とか言っているけれども、考えてみたら夏の甲子園があったとしても夢が叶うのは一部である。というのは、少なからぬ選手がベンチ入りできずにアルプススタンド行きになるからだ。今回甲子園は中止となるから、一部の選手だけではなく全員の選手の夢が叶わない。もはやベンチもアルプススタンドも関係ない。甲子園の中止は平等なのである。さまざまな理由でベンチ入りが絶望的であった選手の中には、こっそりと喜んでいる選手もけっこういるんじゃないかと思う。ベンチ入りできるかどうかわからないとか、ベンチ入りできたとしても出場機会がまともにあるかわからないような選手だって、甲子園がなくなったことで内心ほっとしている場合も多いのではないか。全ての「球児」が例外なく悲嘆に暮れているとは僕にはとても思えない。