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グローバル引きこもりブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール acc4297gあっとgmail.com

支離滅裂なまま投稿する

前のブログ始める前から薄々気づいていた事だけど、文章を書く事のどこが大変かって、形を整えるのがものすごい大変。形というか体裁というか、そこが何よりも大変だった。

たとえば、二つの話題がある場合に一つ目の話と二つ目の話をどう繋げるか、とか。うまく話しが繋がる展開の仕方を考えるのがかなり大変。簡単につなぐことができる場合はいいけど、そうでもない場合は長いことPCの前で考え込むことになる。もちろん、鮮やか?に話を切り替える事ができた場合は快感だし報われた気分になるけれども、大変なことには変わない。

ブログを始めて文章を書き始める前は、どこかで材料を用意した時点で文章というのはほぼ書き終わったようなもんだ、と考えていたけれども、その材料を文章の流れにそって当てはめていくというのが大変なんだよね。読みやすいというかスムーズに流れる文章、というか。

でも文章というのは、そういう表現そのものの価値というものもあるけれども、情報としての価値というものもあるわけで、文章の形を整えることにエネルギーを使いすぎるという状態ではその二つの間のバランスが崩れている。どんなに流れが完全にギクシャクした文章でも情報という意味では成り立っている。情報としての価値というのは文章としての価値とは関係しない。文章が下手でも情報としての価値は変わらない。

普通の人というのはあまりこういう事を考えずに文章を書いていると思う。特にブログを書いている人というのは普通の人よりも文章を書きなれている場合が多いわけで、そういう人を基準にすると自分は本当に文章を書くのが苦手だなと日々感じる事が多い。なんでこういう読みやすい文章をこんな早く、大量に書けるんだろうな、といつも感心する。

でも僕は文章を書くのが苦手なのでそういう人と同じようにしてブログは書けない。普通のブロガーさんと同じスピードで文書をかけばどうしても文章が雑になるし、普通のブロガーさんと同じように読みやすいブログを書こうとしたらどうしても2、3倍くらいの時間がかかってしまうだろう。しかも2,3倍の時間を掛けたとしても普通のブロガーさんと同じくらい読みやすいブログになるかというと、ならない。

なんだか、効率が悪いな、というか、あまり好きな表現ではないけれどもコストパフォーマンスが悪いと感じる。2、3倍の時間を掛けるほどの事はないような気がする。これが読者が100万人とかだったらもちろん読みやすい文章を書くのに時間を掛ける事にも意味があるだろうけれども、僕のブログみたいにアクセス一日40、50人とかで、わりと頑張って更新しても100人くらいからアクセス数が変わらない、という場合はどう考えても意味がなさそうだ。

だからこれからは少しくらい内容が支離滅裂だとしてもそのままで出そうと思う。面倒ならば支離滅裂のまま、公開ボタンをクリックしても結果はそんなにかわらない。そりゃそうだ、読者が40人からゼロ人になったとしたら、それはものすごい変化かもしれないけれどもある意味何の変わりがないとも言える。だって40人しか違わないのだから。

もっとも、ブログを1年ぐらいやるとさすがに書きなれる。始めの内は本当に大変で、それども1000文字は書くと決めていたけど、1200文字とか書くのに本当に3時間くらいかかっていたし、本当に1000文字書けるのか?と毎回不安になるような状態だった。さすがに今はそれはない。時間を掛ければ1000文字は絶対に書けると分かっているし、400文字書くのに一時間かかるということもない。そういう時期があった事が少し信じられない。

ついでにこのエントリーはここまでで1500文字くらいだ。大して苦労もなくこれを書いている。健康状態(子供の頃からの鬱である)が最近ガーンと改善したからだろうか。