グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

小池、メルケル、テレサ・メイの共通点

小池、メルケルテレサ・メイの共通点はなにか?というと子供がいないキャリア女性だということ。大体世代も同じで、政治家としての思想や経歴はそれぞれに違いはあるだろうが、こういうふうな女性が政治家としてトップの座に就くということには時代の曲がり角を感じる。

ここで時代の進歩とか変化、という言葉ではなくて時代の曲がり角という言葉を使ったのは、小池らはたぶん女性として成功したわけではないから。思うんだけれども、小池らの成功というのは女性でもなければ男性でもない、ある種のアウトサイダーとしての成功だと思うんだよね。

これが小池が一児を出産してすぐに離婚をしたみたいなシングルマザーであったとしたら(小池は64歳なのでその場合はシングルグランドマザー?である可能性が高いだろうが)小池はインサイダーだろう。男性は子供を出産できないわけだからシングルマザーになった時点で小池は母親というグループのなかのインサイダーになるわけである。

しかし、小池は(少なくとも世の中で知られる限りにおいて)母親となったことはないわけなので、政治の世界で女性だからアウトサイダーというのはもちろん、平均的な女性、特に小池の年代の女性からすると小池はアウトサイダーである。

それで、物事というのはそういうアウトサイダーがやったほうがうまく行くケースという事が少なくない。小池というのは男には女性の側から物事が言えるし、女には男性の側から物事を言える人なのではないか、と僕は想像する。小池だったら女に話すのにも角が立たないし、男と話すにしても女だからこれも角がたたない。もしかして、そういうアウトサイダーとしての立場の居心地がよかったから、小池は独身で出産もしなかったのかもしれない。

政治家というのは自己犠牲を要求される職業である。少なくとも自分を犠牲にして国民のために活動をするという側面がないと政治家というのはやっていけないだろう。だから、政治家をやっている女性が母親だと、国民のために私生活を十分に犠牲にしてないのではないか?と疑いの目で見られる。一方、国民のために私生活を犠牲にしたとしたら、それはそれで問題だろう。それは母親としての義務を疎かにしていることになるからである。

世間の心理的な抵抗というのもあるだろう。旦那も子供も出世も、みたいなのを前面に押し出されると、そんなに何もかも手にいれようとするの?と世間はうんざりする。社会的に責任を負う立場にあるけれども子供はいない。子供はいるけどキャリアダウン。これが世間の考えるバランスなのではないだろうか。そして、そのバランスが取れてるのが小池であり、メルケルであり、テレサ・メイなのだと思う。そういう意味でヒラリーが母親、しかも孫がいるというのは大統領選で不利に働くような気がする。それは明らかにバランスが悪いのだ。

たぶん小池らの世代は世の中というのは変わっていくという事を信じて仕事に邁進した世代だと思う。しかし、小池らの成功というのは時代の変化を反映すると同時に、時代には変わらない、あるいは変わりようがない部分もあるという事を表しているように見える。だからこそ小池らの成功は一つの時代の終わり、そして時代の新しいフェーズの始まりのように思えるのだ。