グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

エントリーの順番を考えているうちにブログが滞ることがある

ブログというのは記事を一つずつ書いていくものだ。ブロガーによって一つの記事の分量は違うし、一つあたりの記事の分量も大きく異なるだろうが記事を一つ一つ、10分なり30分なり3時間、場合によっては10時間かけて書いていくわけである。そして書き終わったら公開ボタンをクリックして記事をアップロードする。誠に当たり前のことだ。ブログなのだから。

もし書く記事の内容が全く独立したものならば、もちろん問題はまったくない。今日どこそこのレストランにいって何を食った、ということは他のエントリーに関連しない。関連があったとしてもその関連は弱いだろうから無視できるだろう。料理のレシピも他のエントリーに関連しない。料理のレシピのエントリーはそれ自体として完結している。なにかの料理のレシピを読むには別のエントリーを読む必要がない。料理の技術を扱うにしても、それらの情報はそれぞれ別々に取り扱えるものが多いだろう。

問題は書きたい話題がいくつかあって、話題の間に関連がある場合である。そうなると、これを書いたらこれをかいて、その後でこれをかいて、という段取りみたいなものがでてくる。本でいうならば1章のあとに2章が、2章のあとに3章、4章と続くみたいに、エントリーの並べかたをどうするか、という話になる。本のたとえを使うならば1章から書いていく必要が出てくる、ということだ。

しかし、人間の頭というのは必ずしも、考えるべきことを考えられるとは限らない。コンピューターなどを使うように人間の頭というのは使えないわけである。

人間の頭というのは基本的には、考えたいことを考えるようにできている。するとどうなるか、というと、先ほどの本の例に戻ると、今は3章の内容について夢中になって考えているのに3章の内容を書くことができない、みたいな状態になることが少なくない。

これは書きたいものが書けないという事だ。やっぱり自分としては、今考えている事を書きたいから3章を書きたい。しかし3章を書きはじめるにはまず1章を書かないといけない。でも今は3章の内容を考えることで頭がいっぱいになっているから1章を書くのは面倒で仕方がない。でも3章を書くにはまず、1章を書かないといけないのだ。

一度こういう状態になると、1章を書くことも3章を書くこともできなくなる。そのうちに時間が経てば3章の内容もどうでもよくなり、結局1章も3章も書かれる事がないまま終わる、という事がブログをやっているとたまにある。

しかし、それってそんなに意味があるんだろうか?別に1章を書かないうちに4章を書いても結果は大して変わらない気がする。ブログというのはバラバラにも読まれるものである。というかバラバラに読んでいる人の方が多いのだ。バラバラに読んでいる人にとってはエントリーの並び順なんて関係ないし、そもそも続き物の中の1記事だけが読まれたとしたら並び順もなにもない。

それに、少しくらい体裁が悪くても、何も書かないよりは何かを書いた方がいいに決まっている。完璧なものを書こうとして挫折するよりも、いかに不完全なものであっても最後まで書いて成果を公表するというほうがいいに決まっている。

いままでを振り返って、僕はブログに完璧を求め過ぎたと思う。もっと言えば、僕はブログというものに対して全くの思い違いをしていたのかもしれない。他のブロガーさんをみると結構みんなブログをアバウトにやっている。そして、アバウトにやることでうまく行く、という面があると思う。基本的には、ブログというのは全身全霊でやるものではない。逆に、全身全霊でやったら行き詰るようになっていると思う。

これらは結局のところは体裁の問題なのかもしれない。多分、体裁を気にするからブログが大変になるのである。それに、考えてみたら僕のブログはアクセス数がほとんどゼロで、体裁とか言っている段階ではないのだった。

このブログもゼロからのスタートなので、運営の方針も一転しようと思っている。