グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

奨学金の拡充ではなく、能力があれば学歴がなくても活躍できる社会にすることが必要だ

最近いろいろと格差の話が多い。奨学金という借金が重すぎて返済できない、というのもその一つだ。

これまで日本は誰でもそれなりにカネを持っていたのだが、最近はカネを持っている人と持っていない人が分かれ始めた。でもカネは無くなってもこれまでの常識は無くなっていないから、いろいろ面倒なことになっている。格差の話というのは要するにそういう事だと思う。みんなが大学とか専門学校などに行くのが常識になった後で貧乏になってあら大変、という話で、貧乏になったから進学なんてやめましょう、なんてならない。貧乏だけど進学して、ますます貧乏になるという流れになる。

実際に楽観的な見通しの下で奨学金で私大などに進学をして、卒業後に低賃金の職にしかありつけずに大変なことになっている、という話はいくらでもある。日本だけではなくて、奨学金の問題はアメリカなどでも社会問題になっている。

そうなると出てくるのが、無償の奨学金を出せという話だ。だれでも教育を受ける権利があるんだから教育は無償であるべきだ、という事である。ま、たしかに親にカネがあったら教育は無償で(親が学費を払うから)、親にカネがないと自分で学費を払わないといけないというのは、なんだかなあ、と思わないでもない。

しかし、それでも僕は奨学金の無償化には大反対だ。

なんで大反対かというと、この考えの背景には学歴が上である人間ほど尊重されるべき、という思い込みがあるからだ。学歴を積んで「正式」な教育を受けた人間のやる事のレベルは高くて、「正式」な教育を受けていない人はレベルが低い。だから一人でも多くの人が出来る限り高度な教育を受けられるようにしよう、というような話で、奨学金の無償化はこの傾向にますます拍車をかけるだろう。

学歴があるほと優秀ならば学歴重視にも意味があるだろうが、しかし仕事なり何かをする際に大学で教わった事などはほとんど役に立たない、というのも良く聞く話だ。もし大学で教わった事が役に立たないとしたら、学歴って何のためにあるの?という疑問が出てくるのも当然だろう。実際、学歴なんて家柄を見るためのフィルタリングでしかない。だれでも薄々分かっている事ではないか。

今の社会で奨学金などよりも必要なのは、実業高校や高等専門学校である。大学とか専門学校でやっているような事を勉強できるような公立の高校や高専があればいいのだ。そうすれば誰でもカネをかけずに自分が進みたい進路に進むことができる。どうせ大学や専門学校などでやる勉強で重要な部分は高校生や専門学校生でもできるようなものばかりである。だから工業高等専門学校高専というと普通これだが、ほかの分野の高専もある)の就職は100%に近いし、卒業生がしている仕事も大卒の人間と変わらない。

今の大学は大半の人にとってなくても何の問題もないような贅沢品である。こんな贅沢品がなくとも着実な人生を送る事ができるのはもちろん、優秀な人間が場合によってはあえて大学に行かずに活躍できるような社会にすることが必要なのだ。