グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

階層を上がったところで未来がバラ色になるとは限らない

階層が固定化しつつある、みたいな議論をたまに聞くけど、考えるとよく分からない。

この話になるといつも出てくるのは、読書とか勉強の習慣の話だ。親が勉強をするとか読書をするとか、そういう出世(具体的には学歴)につながるような良い習慣があれば子供にも同じような習慣が出来て、その子供にも同じような習慣ができるから階層が固定化する、という話である。

まあ、そういう側面がないとは言えないと思うけど、階層を固定化するなんて無理じゃないか?とも思う。たとえば親の年収が1億だったら子供の年収も1億になるの?普通無理でしょ。年収が1億になるというのはどう考えても偶然である。たまたま色々な偶然が重なって始めて年収1億になるわけで、年収1億の人が何を言ってもそれは再現性がない。再現性がないということは子供を年収1億の階層に固定するというのは無理ということである。

1億が駄目なら1000万とか2000万ならどうか?これも難しそうである。医者、弁護士、大企業の幹部の子供が親と同じくらいの収入を得る可能性というのは意外に低い気がする。もちろん年収1000万台くらいならば子供も同じくらいの年収になる可能性はそれなりにあるだろうが、それでもそうなる確率が8割、とかいうのはないと思う。せいぜい3割くらいとか、そんな感じのような気がする。

僕も結構長い事生きてきたけど、学歴にしろ出世にしろ偶然の要素がとても多い。勉強ができるできない、健康か不健康か、精神に異常があるかないか、どんな分野に興味をもつか、金になる就職かどうか、これらのことはコントロールできるものではない。

思うんだけど、資本に関する階層よりもメンタル的なものに関する階層のほうが受け継がれやすいのではないか。親が社会的に出世していて金もあるけれども人格はむちゃくちゃで子供が完全に病んでしまっている家庭はものすごい多い。そういう家庭で育った子供はやはり人格がめちゃくちゃで、家庭を持ったとしてもその家庭は同じようにめちゃくちゃになるのである。

逆に親が人格円満だと子供も大抵人格円満になると思う。やっぱり親の人格が円満だと子供も100%に近い確率で素直に育つような気がする。親がキチガイでも自分は人格円満、みたいな人を僕はいままで見たことがない。みんな壊れた心をなんとかコントロールしようと必死になっている人ばかりだ。

階層の話になると、どうしてもうまく行った例(あるいは悲惨な例)ばかりが取り上げられる。親が海外駐在で帰国子女で慶応早稲田に進学して自分も海外のビジネスに関わって、とかそういう感じだ。でも実際は中流以上の家庭だからうまく行く、というものでは全然ない。それなりにカネはあるけどうまく行っていない家庭なんていくらでもある。もちろんそういう家庭の困難は貧困家庭のものとは違うけど、とにかくそういう家庭の実情がバラ色のものとは程遠いことは確かだ。

人間どうしても階層を上へ上へと上がろうとするけど、階層を上がったところで未来がバラ色になるとは限らないよ、という事はすべての人によって理解されるべきだと思う。