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グローバル引きこもりブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール acc4297gあっとgmail.com

なぜ自己啓発はうまくいかないのか?自己啓発における行動・苦痛・認識

以前ネットで、自己啓発の本の内容は「やれ。そしてやり続けろ」という事だけだよね、という内容のエントリーを読んだことがある。全くその通りだと思う。

自己啓発でもミニマリズムでも、一番難しいのは行動に移す部分である。理屈を理解するのは簡単なのだ。どれも「その通りですね」と言うしかない事ばかりなのだから。

ところが理解するのと行動するのとはまったく別の話である。ほとんど全く関係ないと言ってもいいくらいだ。自己啓発などに興味がある人は、何をやるべきか分かっていても体が動かないから困っているのである。体を動かさないといけない事は分かっていても、動かないものは動かない。いますぐやればすむ話なのに、なぜか先延ばししてしまう。

どうして行動するのがつらいのか?こういうとき、自己啓発仏教ミニマリズム(まあ、ミニマリズムというのはかなり仏教をネタ元にしているのだが)の説明というのは大体、それは対象の本質が見えてないから、というものだ。本来大してつらくもないものをつらいと間違って認識しているから行動ができない、もしやるべき事の本質を正確に理解できていれば、行動するなんて簡単なはずだ、というのである。

僕はこれはウソだと思う。ウソでないなら、少なくとも現実的ではない。

自己啓発と現実逃避

はっきり言って、いくら物事を観察して理解したところで行動できなかった人が行動できるようにはならない。理解する事と行動する事との間には、ほとんど何の関係もないのである。正直いって、僕はいままで考えることで行動できたことは一度もない。

物事の本質を理解していないから行動できない、という考えには非常に大きな問題がある。この考えだと、行動ができないのは目標に対する観察が足りないからなので、もっと考えればそのうちに物事の本質がわかり、自然に行動できるだろう、ということになる。

これは完全に現実逃避につながる理屈である。行動するより考えるほうがラクなのでいつまでも考えていよう、という風に100%なる。そしてこれが、自己啓発がうまくいかないメカニズムなのである。それではまずいから、考えているだけでは何も分からないよ、行動するのが大変だよ、という理屈が付くわけだけど、その行動することが出来なくて困っているのだから何の意味もない。

苦痛は実際に苦痛である

僕はこれまでなんとなく、自己啓発というのはどこか現実逃避につながる所があると思っていた。それで、それではどこがおかしいのか?というと、物事の本質が理解できてないから苦痛でないものを苦痛と感じる、という部分に間違いがあるのではないか、と考えるようになった。

苦痛なものは苦痛なのである。現に、苦痛だから行動が出来ないわけだし、苦痛から逃げようとするからいつまでたっても物事が進まないわけである。

だったら、苦痛を苦痛であるとはっきり認識すれば現実逃避もなくなり、必要な事ができるようになるのではないか。そう考えて、僕は最近、なにかつらい事、やりたくない事をするときに、「これをやる事は大変な苦痛である」とはっきり自分に言い聞かせるようにしている。実際に始めてみたらどうという事はないような用事であってもである。

そう自分に言い聞かせるとどうなるか?漠然としてはっきりしなかった課題の形がはっきりしてくるのである。そして、おっくうでどうしてもできなかった事に取りくむ気力が出てくる。僕はこの方法を使うことでこの手の事がずいぶんやりやすくなった気がする。

必要なのは認識ではなく、気力と覚悟

僕は大変なことをするのに必要なのは、認識ではなくて気力とか覚悟だと思う。

たとえば注射を打つときを考えると、普通はどちらかといえば「長い一生でほんの一瞬の事だから」というより、「たとえどんな激痛だったとしても耐えるしかない」というような覚悟をもって注射に臨むと思うのだ。そうしないと、注射を乗り切る気力がでてこない。「長い一生でほんの一瞬」というのはたしかに真理である。たしかに真理ではあるが、しかしそう考えても注射を乗り切る気力は出てこないのだ。

それと同じように、なにか面倒な事に取り組む場合は実際に取り組むのに想定される苦痛の数百倍の苦痛を覚悟しておくべきなのではないだろうか。物事というのは始める時のほうがいったん始めた後よりも何百倍も大変なのだから、それくらいの気力がないと始められないと思うし、始めた後の事をあれこれ考えても全く意味がない。

苦痛をこれは本来苦痛でない、と考えたら気力なんて出てこないと思うのだ。逆に苦痛を苦痛と考えることによって始めて、それに対応する気力が出てくる。面倒な事になかなか取り組めない人は一度試してみて損はないと思う。

参考

以下のエントリーをきっかけとして書きました。反論というよりは昨日書いたエントリーの解説です。

考える前に観察しろ - 賢くミニマリストになろう