グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

ヒラリーの言葉とトランプの言葉

巷ではヒラリーが当選すると言われているけれども、英語学習者の一人としてはどうにも気が滅入る話だ。英語をやっていると、CSなどで何かと大統領の演説を見聞きする機会が多い。僕は毎日CSで国際放送を見てるから、好む好まざるとにかかわらず毎日アメリカ大統領が話しているのを見ているわけである。だから英語学習者の立場からすると正直、政策以前に話がうまい候補者が大統領になってもらいたい。だから、ヒラリーが当選するだろうという話を聞くたびに本当に気が滅入る。

というのは、ヒラリーは本当に演説が下手だからだ。下手というか、ヒラリーの演説には内容がない。内容がないというか、ヒラリーの演説というのは小学校の読書感想文みたいな感じだ。小学生が自分の考えであるよりはそれを読む大人の機嫌を計算して作文をするように、ヒラリーはいかにもある種のリベラル派が100点満点を付けるような話ばかりをするのである。だからヒラリーのスピーチは退屈だし、聴いていても無機質というか、どうにも味気ない印象を受ける。とにかく話をしても説得力が感じられない。こんな説得力がない話し方をする政治家はそんなにいないような気がする。

話の内容だけではない。イントネーションも、身振りも、表情も、何から何まで人工的なのである。英語でヒラリーの演説を聞いた人は分かると思うが、とにかく人工的なのだ。なんでこんなに人工的なのか不思議に思うほどだ。

演説しているときのヒラリーの身振りはおかしい。ひっきりなしに指を突き出すしぐさは本当に感じがわるい。なんでこんなとげとげしい身振りで演説をするのか、僕には全く理解できないし、これを注意する人がいないというのも信じがたい。話の合間にしたり顔でうなずくのも非常に気になる。なんでいちいちうなずく必要があるのか分からないし、したり顔をしてうなずくものだからますますいらいらする。

もちろん、ヒラリーだって一応人間なわけだから、演説をしている間には人間らしく見える時もある。表情にしても、全く人間らしさが消え去ったような表情で話している事が多いとはいえ、自然な表情で話している時もあるにはある。ヒラリーが話すことすべてを100%心から話しているとは全く思わないが、ヒラリー個人の考えもそれなりに話す事には入っているのだろう。ヒラリーの演説の全体的な印象としては、30%が本当で70%が人工物、といった所だろうか。30%は本当の理想で、70%は野心という感じだ。

ヒラリーの演説というのは果汁30%の清涼飲料水みたいなところがある。どうしてそのようなスピーチになるのか、ということを突き詰めて考えれば、それは本質的にはリベラル派のいう事がウソの上に成り立っているからだと思う。

クリントン夫妻はカネに汚い事で有名で、これまでに講演料などで230億円もの蓄財をしたと言われている。その内のいくらがクリントン財団などを通してチャリティーに使われる事になるのかは知らないが、とにかくそういう蓄財をするような生き方をしていると、たとえバーニー・サンダースと同じような事を話しても聴いている人の受ける感じはぜんぜん違ってしまうのだ。

ヒラリーには、言っている事と全然違う事をするという評判がいつも付きまとう。ヒラリーの話が説得力に欠けるのは、ヒラリーの生き方が、全部とは言わないまでも相当部分がニセモノだからだろう。

それに引き換え、スピーチに関してはヒラリーよりもトランプの方が比べものにならないほどうまい。間の取り方も、身振りも本当にうまい。先ほど言ったようにヒラリーの身振りというのは見ていてとても不快なものなのだが、トランプの身振りというのはどこか愛嬌がある。演説の内容はものすごい攻撃的なのに、ジェスチャーには愛嬌があるからつい許せてしまう。ジェスチャーを作るときに人差し指と親指で輪を作ったり、大きく手を広げたり、とにかく憎めない。見てて面白いし、そのような所にトランプの心遣いのようなものを感じる。

そして何よりも、トランプの言葉には力がある。この間ボブ・ディランノーベル文学賞を受賞したが、言葉の力という意味ではトランプの言葉の力はヒラリーのものとは比べものにならない。

投票日がせまった先日、ヒラリーはビヨンセとラッパーのジェイ・Z(ジェイ・ジー)夫妻を招いてイベントを行った。この手のセレブは大体民主党の支持者で、民主党は選挙のたびにこういうセレブを招いてイベントをするのである。

トランプはこれを皮肉って、演説の時に次のような発言をした。

I'm here all by my self(私は一人だけでここにいる).

このさりげない一言には、ビヨンセやジェイ・Zのパフォーマンスなどとは比べものにならないほどの力がある。

伝えられる所によると、トランプというのはかなり孤独な人物であるらしい。強引な事業のやり方が嫌われて、ニューヨークで相当に孤立しているのだという。それにはトランプの側にも問題があっただろうが、家業と従業員の生活を守るために必死だったという側面もあったと思うのだ。トランプがどれほどの悪人なのかは分からないが、トランプの言葉の背景にはそのような孤独感があるように思えてならない。

トランプの支持者には今の世の中で居場所がないと感じている人が少なくない。居場所がない理由にはいろいろあるだろうが、とにかくそういう人にはこの一言はものすごく説得力をもって響くと思うし、トランプを非難する人でもこの一言には強い印象を受けるに違いない。ヒラリーにそのような言葉があるかというと、おそらくなにもないと思う。

トランプの言葉は非常にシンプルであるが、非常に印象的である。なんで印象に残るのかというと、トランプの言葉が作りものではないからだろう。YouTubeの動画などでトランプの演説を見ると、トランプが本当にアメリカの現状に対して腹を立てている事が良く分かる。よく、トランプは有名になる事しか考えていないというような事をいう人がいるが、動画を見る限りトランプがそのような人物とは僕にはどうも思えない。

人種差別主義者・女性差別主義者・排外主義者・イスラム恐怖症など、これらのトランプを批判するために使われる言葉はすべて作りものである。共産主義みたいなものだと言っていい。

持続可能なものではなかったとはいえ、共産主義はある程度の成功を収めた。旧ソ連諸国の現状を見れば、共産主義時代のほうが遥かにマシだったのは明らかでである。それと同様に、これらの言葉の背景にあるリベラル思想も一定の成功を収めた。それは事実だ。

しかしある程度成功したとはいえ、リベラル思想と「リベラル」な社会を作るために使われている言葉が基本的に作りものである事には変わりない。本当をいえば、作り物といってもそれはある程度は本物なわけで、だから「リベラル」な社会はある程度の成功をしたわけだけども、しかし「リベラル」な社会は今、急激に失敗しつつある。かつて共産主義が失敗し始めたようにである。

ヒラリーの言葉は使い物にならなくなっていると見なされ始めている。だからヒラリーは苦戦したのである。一方、主要メディアがいくらトランプを非難してもトランプの支持が無くならなかったのは、やはり時代がトランプの言葉を必要とし始めているという事に他ならない。

I will fight for you, I will win for you(私はあなたのために戦う。そしてあなたのために勝つ).

投票日前の最後の演説で、トランプはこのように述べた。今回の大統領選でどちらの言葉が勝ったのかは明日、決まる。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。