グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

[書評] 橋本崇載「棋士の一分 将棋界が変わるには」

金髪にパーマ、紫のシャツという変わった出で立ちで有名になった橋本崇載八段が今の将棋連盟に対する不満をぶちまけている本である。橋本八段は他の将棋棋士とあまり交流がないらしくて、しがらみのない立場から他の将棋指しとは少し違った発言を読む事ができる。

将棋界に批判的な将棋棋士の発言というのはなかなか聞こえてこないものだからこのような本が出版されるのは貴重だし、今の将棋の世界の現状はどのようなものか、ということの一端が分かってなかなか面白かった。

コンピューター将棋について

本のかなりのページがプロがコンピューター将棋と対戦する事について非難する事のために使われている。ソフトは常に最善手を指すのに人間はミスをするわけだから、プロがソフトと対戦をしても勝てるわけがない。勝てるわけがない勝負をするのはカネをもらう代わりにプロ将棋棋士の価値を引き下げることで絶対にしてはいけない、というのが橋本八段の考えのようである。

それから橋本八段が危惧をしているのは、コンピューターのせいで将棋のゲームとしての性質(将理)というものが完全に解析されつくしてしまうのではないか、という事で、そうなってしまったら日々将棋の真理を探究しているプロ棋士の存在価値は減少するし、将棋は人間がいかにソフトのマネができるか?という話になってしまう。とにかくソフトがプロ将棋の世界に及ぼす影響でよいものは何一つない、という。

橋本八段はかつてソフトとの対局を頼まれて、あっさり勝つのはつまらないから、と思いっきり緩めて対局したら「橋本がソフトに苦戦した」と書かれて、今に至るまで「精神的な苦痛」を味わっているのだという(実際にWikipediaにもそのような記述がある)。この出来事も橋本八段の心証を大いに悪くしているに違いない。

将棋連盟の「ぬるま湯体質」

将棋の世界というものは4段に上がるまでには地獄の3段リーグを勝ち抜けなければいけないが、4段になった後すべての棋士が将棋の研究に没頭するという生活をしているわけではない。将棋に関する熱意があまりなく、だらけた生活を送っている棋士も多いのだという。

そういう棋士棋譜なんて誰も見ないにきまっているのだから、そのような棋士が公式戦に参加するのは無駄な事で(対局料がもったいないという事だろう)、力のない棋士にはさっさと引退してもらう代わりに将棋の普及活動などに専念してもらい、カネもそちらの方に回すべきだ、というような事が書いてある。

プロスポーツ公営ギャンブル(競馬・競艇など)の世界では常に厳しい勝負をしていて、勝負に勝てない人間は生き残れない。プロ将棋の世界も厳しい勝負についていけなくなった人は引退しなければならないようにするべきだ、というのが橋本八段の主張である。

いかにも最もな事に聞こえるが、しかし外から見ると将棋棋士というのはスポーツ選手のように精進と研究を重ね続けるというよりはメンタリティー的にパチプロとか、そういうダメな人間の要素があるほうが自然というか、普通なんじゃないかとも思う。ギャンブルを好むプロ棋士は多く、橋本八段の議論にもギャンブルの話がたびたび出てくる。すこしくらいだらけた部分があるほうが将棋の世界として無理がないようにも思う。

奨励会会員の低年齢化

最近の奨励会員は退会期限を待たず、18歳になったらやめてしまう人が多いらしい。18くらいまでにプロになっているか、プロに近い所にいなければタイトルを獲るような将棋棋士になるのは難しいから、さっさと将棋から足をあらって大学にでも進学したほうがいい、という事なのかもしれない。そのために将棋連盟では対局の記録係が足りなくなって困っているほどなのだという。

たしかに18でやめたとしたら、将棋のせいで生じる人生に対するダメージはあまりないだろう。18を過ぎても将棋を指し続けてプロになれるならばそれでいいだろうが、もしなれなかったとしたら大変である。将棋がだめでも人生が終わったわけではない、というような事はいくらでも言えるが、自分が大ダメージを食らう一方で自分の一生はプロになれた人の権威づけに丸ごと利用されるという事実は変わらないわけで、それならば18で将棋の一線から引退したほうがマシ、と考える人が出てくるのもおかしくはない。18で奨励会をやめなくても、大学に通いながら将棋を指し続けるとか、ある意味では非常にまともな考えを持つ奨励会員が増えているのだという。

この傾向は若手棋士の指す棋風にも表れていて、人生を丸ごと掛ける事をいとわないような勝負師的な将棋が減ってきたという事が書いてある。ファンを魅了する将棋を指す事がプロ棋士の使命だと考えている橋本八段はどうもこの傾向が気に入らないようだが、しかし常識的に考えれば正しい事をしているのは18できっぱりと将棋の第一線から引退する人の方なわけで、これを否定するのは難しいだろう。人情の人であり、基本的には常識人である橋本八段も、これについては葛藤がありそうな気がする。

もっとも、この傾向はプロ将棋棋士が持つ権威にどう影響するか、という問題はある。自分の一生を掛けた人間が自分の一生を掛けた人間に勝ってプロになるところにもプロ将棋棋士のすごみはあるわけで、一生を丸ごと掛けてない奨励会員が多くなるとプロ棋士の印象もだんだん変わってくるかもしれない。

18で見切りをつける奨励会員が増えている事にはソフトの影響もあるだろう。これまでは最強の相手と指すにはプロになる必要があったわけだが、今ではソフトがあるのでプロでなくても最強の相手(?)と指せる。今一流棋士に勝てるソフトが公開されているかは知らないが、もし公開されてなくてもそれくらい強いソフトが公開されるのは時間の問題なわけで、プロにこだわらなくても・・と考える人が増えるのも無理もないような気がする。

新聞の衰退

将棋連盟のカネというのはかなりの部分が新聞社から出ているのだが、近年の新聞の衰退は著しい。それは自業自得というよりは単に新聞というメディアがいまの世の中に合っていないからだろうが、理由はともかくとして新聞の衰退は将棋連盟としても気が気ではないに違いない。

これまで新聞社からは少なからぬ額のカネが流れてきた。たとえばタイトルの賞金で一番高額な竜王戦読売新聞社主催)の賞金は4,200万円である。プロ将棋棋士の権威のかなりの部分が新聞社からのカネに支えられてきた事は間違いない。

もし新聞の衰退によってこのカネがなくなるとすると、将棋連盟は新しい収入源を確保する必要が出てくる。橋本八段によると、これからは新聞のカネはあてにできないので将棋ファンから直接的にマネタイズするべきだという。もちろんマネタイズは今でもやられているのだが、プロのビジネスマンを雇用してもっと大々的に将棋ビジネスを展開するべきだという。

将棋連盟はどうなるか?

橋本八段は、今のままではプロの将棋というのが成り立たなくなるのは間違いない、と大変な危機感をもっているようだが、将棋連盟はべつに橋本八段が言う改革などをしなくてもなんだかんだで続いていくのではないだろうか。竜王になったら4,200万というような世界が維持できるのかは知らないが、これが420万になったところで世界が終わるわけではないし、4,200万がもらえなくなってもみんな竜王になりたいだろうから、将棋のレベルもそんなに変わらないと思う。

ソフトと対局するという企画も、ドワンゴからのカネが重要だという以外に、なんだかんだで肯定的な影響があるから続いていると思うのだ。今は子どもだってスマートフォンでコンピューター対戦しているわけだし、そのうちコンピューターで将棋を覚えた世代が名人になるわけである。明るい話題もいろいろあるのにちょっと悲観すぎる気がするし、だいたいにして竜王になったら4,200万とか、25になるまで将棋しかしていない、みたいなのが普通だと思う方がおかしいといえばおかしい。

いや、スポーツ選手だって年俸が数億円にもなる人がいるんだから、将棋棋士が4,200万もらって何が悪いのか?というのは全くその通りだと思う。僕が言いたいのは、竜王になって4,200万という収入が得られる今の時代というのは非常に特殊な時代だということだ。

江戸時代の将棋指しが4,200万儲けるような事があったとは思えないが、それでも将棋で生計を立てる人はいた(兼業する人が多かったようだが、橋本八段だって兼業である)。そういう意味では今の流れは特殊な状態が普通に戻りつつあるだけ、といえるのかもしれないし、ソフトはこの普通化の流れを加速する働きをしていると考えられるのではないだろうか。

 ↑出版社がドワンゴなのが素敵だ。

参考

橋本八段のTwitterアカウント

twitter.com

橋本八段の将棋バー

shogibar.wiki.fc2.com