まとまっていない時間の重要性
ビジネス書でもなんでもよいが、世の中では細切れの時間を有効に活用する事が重要という事になっている。
3分でも5分でも、短い時間が積もり積もれば大変な量になるから、このような細切れの時間を有効に使う人と使わない人では後になって大きな差が出る、という事のようだ。
まあ、実際そうなのだろう。
現代において通常の社会生活を送るという事は、時間がどんどん細切れになっていくという事を意味する。このような社会環境においてまとまった時間を確保するというのはなかなか難しいから、細切れの時間を有効に使わないとなにもできない、という主張にはそれなりの説得力がある。
世の中のほとんどの人が賛成するような意見だ。
でも、正直僕はこれまで、細切れの時間を有効に活用する事が重要だとはぜんぜん考えていなかった。
なんで細切れの時間を重要だと思わなかったのか?
一番の理由は僕が引きこもりをしているからだろう。引きこもりは社会とのつながりが切れているので、自分の時間が細分化されない。時間というものはなにか予定とか用事が出来るたびに細分化されていくわけだけれども、引きこもりには予定も用事もないから時間が細分化されないのである。
そういう環境にいると時間感覚がなくなってくるから時間のありがたさというものがよくわからない。細切れの時間が重要!と言われてもピンとこない。社会から距離をおいた生活をしていると、どうしてもそうなる。だいたい、時間のありがたさをよく理解できるようならば引きこもりなんてしていない。
「細切れの時間を有効活用」というと、なんだかいろいろな事に手をだして結局全部ものにならない、というようなイメージもあった。
なんでもそうだが、物事というのは大量の時間を確保して目的を達成するためにすべての時間を一気に投入するのが一番効率がいいのである。だから細切れの時間を使って・・というのでは大したことはできないのではないか、という疑問があった。
考えてみたらすべての細切れの時間を同じように使えばいいだけなのだが。
最近は考えを完全に転換させて、細切れの時間というのは非常に重要だと思うようになった。
というのは、細切れの時間を細切れでない時間にするのは簡単だからだ。ここで意味の分からない表現を使ったけれども、つまり細切れの時間を有効に使えるならばまとまった時間だって有効に使えると思うのである。逆もそうで、細切れの時間を有効に使えないならばまとまった時間もなかなかうまく使うことができない。
細切れの時間を使えるという事は物事に確実に着手できるという事だと思うのだ。少しあいた時間になにか出来るような心掛けがあれば、まとまった時間があるときにグズグズすることなく確実に必要な事に取り組める。
細かい時間もやるべき事のために使うというくらいの心掛けがないと、せっかくまとまった時間があってもほとんどの時間を無駄な事をするのに使ってしまうだろう。
物事というのは続けるよりは始めるほうが難しいから、なにか時間があるならばすぐに必要な事を始めるような習慣があったほうがよい。そうしないと細切れの時間だけでなくまとまった時間も下らない使い方をしてしまうのである。
これまで引きこもりとしてさんざん時間を無駄に使ってきたのでつくづくそう思う。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになるはずです。