グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

AIと大学無償化

最近、大学無償化の話をあちこちで聞くようになってきた。

自民党悲願の憲法改正との抱き合わせという意味もあるんだろうが、ともかく自民党・非自民党問わず大学の無償化を支持している国会議員は少なくないようなので案外あっけなく無償化になるかもしれない。

 

僕はこれまで大学の無償化というか、今の教育システム自体に懐疑的だった。

なんか世間では教育を充実させるといい事があるかのように言っているけれども、今の日本で本当に問題なのは過剰教育であると思っていた。

つまりいらない教育があまりにも多すぎるために教育が社会の停滞のもとになっていると思っていたのである。

いまの教育というのはムダのかたまりで、必要な事は適当に済ますのにどうでもいいことを長々と時間を掛けてやる。

学校が学校であるためにはムダが必要なのでムダというのは一向になくならない。

だからこれからの社会では学校の機能をどんどん削減していって、学校では本当に重要な事を徹底的にやる一方でその他に必要な事があるならば個人の自己学習にまかせるような社会にしていかなければいけないと考えていた。

大体にして、勉強というものはすればするほどよい、というのが世間での一般的な建前だが、実際はぜんぜんそうではない。

社会が必要としているのはある程度以上に根気強く勉強できるというメンタリティーだけで、勉強の内容に関しては大した価値を認めていないのはオーバードクターの問題を見ても明らかである。

 

そういうわけで僕は大学の無償化についても懐疑的だったのだが、しかし最近は一概にはそうはいえないかな、とも思い始めている。

産業構造が変わるにつれて、もしかしたら人間に求められる能力が変わってくるかもしれないからだ。

人材の流動化

大学無償化の一つのメリットとして、人材の流動化の促進につながる事が期待できる事があげられる。

無償化というのは普通、裕福な人は何不自由なく進学が出来るのに貧乏な人は進学をあきらめないといけないか、進学をしたとしてもものすごい苦労を強いられるので不公平ではないか、という観点から論じられるが、僕は社会人の再教育において大学無償化がどのような意味を持つかという事に関心を持っている。

つまり、いままでの社会というのはある程度キャリアというものが決まってしまったらよほどの事が無い限りキャリアを変更できない社会だった。

ようするに、なにか別のキャリアを目指すにしてもキャリアを変えるとっかかりがなかなかない。

なので、たとえ他の方向に進みたいと思っていても基本的には今までやってきた事にしがみつくしかない。

これがもう一度タダで大学に再入学できるとなると、キャリアはだいぶ変えやすくなるだろう。

もしAIが言われるようなペースで発達していくとすると、キャリアの流動化はますます重要になってくる。

これからは機械化の進行によってぜんぜん成り立たなくなるような産業が出てくることが予想されるが、必死になって旧産業にしがみつかれるよりはタダで大学に入ってもらい、他のキャリアを目指してもらった方がまだマシなのだ。

役に立たなそうな勉強がしやすくなる

僕は機械化が進むにつれて、働くことよりも考える事のほうが重要になってくるのではないか、と考えている。

globalizer-ja.hatenablog.com

これまでの日本社会は考える暇があったら働け、というのが基本の社会で、あんまり考える事が重視されてこなかった。

そして考える事なく働いてきた(あるいは働くフリをしてきた)結果が今の日本の惨状である事はいうまでもない。

ところが、それではいままでとは違う発想を学ぶ事が出来るような学問が重要だということになったとしても、そういう学問というのは一般にカネを掛けて勉強するには気が引けるようなものが多い。

法学とか経済学ならば就職はバッチリだから何百万も払えるだろうが、文化人類学とか宗教学、哲学などの学問に何百万を投じるというのはなかなか気が引ける。

もしそういうマイナーな分野の勉強をして失敗したら再起不能になるかもしれないからだ。

しかし、これからのビジネスを考えた場合、本当に役に立つ学問というのはどっちだろうかというと、まだしも文化人類学とか宗教学、哲学のような進学を反対されるような学問のほうがビジネスのヒントになるような気がする。

そういう意味で、これからのビジネスとか社会に本当に必要とされる知識を学びやすくなるという点で大学の無償化の意義は少なくない。

考える時間ができる

考えてみれば、大学に在籍することの価値のかなりの部分は考える時間がある程度出来るという事で、勉強そのものはオマケとも考えられる。

一度社会人になるといそがしくなってしまい考える時間がなかなかないが、その一方で社会人こそ考える時間に価値がある、ともいえる。

忙しくて取り組めなかった事に取り組むのもいいし、なにか人生につまづいたら、大学にいってのんびり自分の人生を考え直す、という事があってもいい。

もっといえば、大学がタダになれば大学が最後の逃げ場になるというか、いざとなったら大学に逃げればいいか、と考える人が多くなれば社会の閉塞感も改善されるのではないか。

ダブルメジャーが身近になる

アメリカと日本の教育システムで大きく違う事はいろいろあるけれども、アメリカではダブルメジャーが一般的だというのは日本と大きく違う所の一つだろう。

ダブルメジャーというのは学士号を二つ持っているということで、例えばアメリカでは音楽の学士号とコンピューターサイエンスの学士号のどちらも持っているとか、そういう人が普通にいる。

そうすると、音楽の才能を生かしてITビジネスを立ち上げたり、プログラマーとして生計を立てながら音楽活動をするという事ができる。

学部と修士課程、博士課程とで専門が違う、という事も一般的で、専門を変える事による差別もない。

アメリカの経済が好調なのは、このように才能を無駄遣いしないような教育システムになっている事が非常に大きい。

僕は日本でもダブルメジャーは非常に重要になってくると思うが、今の教育システムでダブルメジャーを取ろうとしても現実問題としてなかなか無理がある。

ここで大学がタダになれば、流れとしてはダブルメジャーが一般的になる方向に大きく傾くだろう。

新卒主義の破壊

経歴が多様化するので、失敗ゼロで最短ルートで就職活動する人間が一番優秀と言えなくなる。

まとめ

僕は今の教育システムははっきりいってものすごい社会的コストになっていると思う。

まちがった選択をしたら教育を受ければ受けるほど損をするし、こけたら自己責任で再起不能になる。

おかしな教育システムのせいで、膨大な才能が無駄遣いをされている。

大学教育の無償化はこのような状況を変える可能性を持っている。

すくなくとも、今の教育システムがもたらす社会的コストがうまく削減された場合、おつりがくるんじゃないだろうか。

大学無償化には懐疑論も多いし、今の腐った大学ビジネスに公金を投入するのは恐ろしいが、しかし大学教育が無償化に向かうというのはある程度の必然性があると思う。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

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