グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

人文学は社会にとって迷惑か?

ここ最近、文部科学省が国立大学の人文系の学部を大幅に削減するのではないかと話題になっている。

国の財政が逼迫する中で予算が厳しいのは大学行政も同じで、日本の将来にとって理系の予算は減らせないのでその分を文系の学部をリストラすることで捻出しようということだろう。

ようするに、日本にはもはや「役に立たない」学問をやる連中を養う余裕はないよ、という文科省からのありがたいメッセージである。

実際に近年の国立大学の入学者の定員を見ると、理系学部が増えている一方で文系学部は減っている。

大学業界的にいえば、入学者の定員が減るということは予算が減るということを意味するのでこれは結構大変である。

くわしくは知らないけれども、人文系の学部に流れる補助金だって以前と比べたら相当減っているだろう。

人文系軽視の風潮が今後加速する一方であることは疑いようがなく、この傾向が逆転することはまず考えられない。

そして、その背景には有権者からの強力な支持がある。

 

これら人文系学部のリストラは財政の観点から論じられることが多いけれども、僕は財政の問題というのはただの口実なんじゃないかと思う。

大多数の有権者が思っていること、それはおそらく、人文系の学部は迷惑だから潰れてくれ、ということだ。

 

まず、人文系の学部というのはイメージが非常にわるい。

イメージもわるいし、とうぜん就職だってわるい。

同じ文系で比較すると、人文系の学部というのはたとえば法学部とか経済学部と比べたら比べものにならないほどわるい。

スペック的?にはよさそうでも学部が人文系だからとれない、という話は至る所にあるだろう。

人文系の学部というのは普通の人にとっては何をやっているのかわからないし、はっきり言って遊んでるだけじゃないかという印象がある。

これが法学とか経済学とかなら、その勉強が社会人として役に立つかはともかく、それがとりあえず勉強であることはだれでもわかる。

ところが人文系の場合は、それがどのような意味で勉強なのか世間の人にはわからない。

もっといえば、人文系の勉強というのは法学とか経済学のような真面目な勉強をすることを避けて、楽な方向に逃げた人間がするものだという印象がある。

法学部とか経済学部を卒業したら少なくともこれらの真面目な学問を4年間真面目にした、という事実は残るわけで、世間の要求するものはそれ以外には何もないが、人文系の学部を卒業する予定の学生にはこのような安心感はない。

これらの学部というのは将来のことを全く考えていない人がいくことが多いので、真面目に社会人として働くべく目的意識をもって進学した学生と比べて世間の心象は極めてわるい。

だから人文系の人間というのはかなりの確率で社会のお荷物になる。

これが法学部なり経済学部なりに進学すれば社会的に有意な人間になるのに、人文系の学問をしたばっかりに社会的コストになってしまうのだ。

何千万もかけて大学を出してやって、税金として人文系の学部に投入される補助金を少なからぬ額支払ってこれでは、世間の親は納得できないだろう。

人文系の大学教師は自分の食い扶持を稼ぐために学生の人生をダメにしている。

これが平均的な有権者の見方である。

人文学というのは迷惑なのだ。

有権者としては、人文系の学部など今すぐにでも潰れてほしいのである。

 

社会が人文学から蒙る迷惑はこれだけではない。

人文系の学部の教師が行う活動というのは社会にとって役に立つどころか有害なのではないか、という見方は多かれ少なかれ世間で広く浸透しているものである。

このような人文学に対する懐疑は昔からあり、決して最近になって広がってきたものではない。

たとえばニーチェは、人文学は人類にとって有害だとして人文学の教師を徹底的に罵倒した。

ニーチェにとって、人文学の教師の多くは畜群の耳に甘言を吹き込むことで生計を立てる人間のクズに過ぎなかった。

これらの教師は真実をねじ曲げることがビジネスなのであり、したがって真実の敵なのである。

真実というのは大抵は不都合なものである。

それは必ず誰かにダメージを与える。

真実を語るものはいい人ではいられないのである。

ニーチェが人文学者に求めたのは、真実をありのままに語ること、そしてそのための代償を払う覚悟を持つことだった。

人文学者の役割は、それが真実であるならばどれほど残酷なものでも真実であると大声で言い切ることなのだ。

ところが人文業界をみると、真実をかたるどころか善人面をするために真実を平気でねじ曲げるようなクズばかりが目につく。

当然、これらの人文学者の現状認識はまったく見当ちがいのものであり、従ってそういう連中の行う社会への提言も見当ちがいのものばかりである。

これらの人文学者の存在は正確な現状認識を行う上で邪魔なのであり、まともな社会政策を立案する上で有害である。

正確な現状認識がないかぎり、まともな社会政策が出てくるはずがないわけで、ここにも人文系の学部を潰す正当な理由がある。

腐敗した人文学というのは本当に最悪なのだ。

 

このように文科省、さらにはその背後にいる有権者による人文学の軽視には正当な理由があり、今の状況を見ても正直に言って僕の頭には「自業自得」の4文字しか浮かばない。

 

しかし、それでも僕は日本の人文系の学部を全部潰すことが良いことだとは思わない。

それはAIが社会に大きな影響を与えることになる21世紀においてはなおさらである。

というのは、21世紀というのはようするに飲食業界から製造業まですべてコンテンツビジネスの時代であるわけだけれども、コンテンツを作る上で役に立たない学問というのは何一つない。

たとえばルーン文字とかシュメール文明を研究しているような考古学者がいなければファイナルファンタジーの世界は成り立たないし、幕末を研究している歴史学者がいなければ「るろうに剣心」は作れないのである。

だから、クールジャパンとかいってコンテンツビジネスを重視している日本が人文学を軽視するのはおかしな話といえばおかしな話といえる。

たしかに社会にとって迷惑な人文学者がいるにはいるが、しかしながら人文学の多くは政治には関係ないし、そもそも人文学を糾弾したニーチェ自身も人文学者以外の何者でもない。

ドイツ語がわからない人がニーチェの著書を読むことができるのも人文学者が翻訳をしているからで、だいたいニーチェの原典だって人文学者が編集・校閲をしているのだ。

人文学者がいなかったら、世界のことはほとんど何もわからなくなるだろう。

たしかにポリコレによる人文学の腐敗は深刻だが、これにだって限りがある。

一応は現実を扱う以上、真実というものはどうしても滲み出てくるものなのだ。

 

人文学の意義が無くなることはこれからもないというのは間違いない。

しかし、人文系の学部のありかたの大幅な見直しはまず避けられないだろう。

人文系の学部が今のように存在することはもはや社会的に許されない。

それではどうすればいいかというと、具体的にはダブルメジャーの半強制がいいのではないか。

ようするに、人文学をやりたいなら法学とか経済学など真面目な勉強を4年間続けることができるということを示した上で人文系の学問をやるべきなのである。

それならば社会の方もまだ受け入れる余地があるし、これらの普通の学問をすることは人文学の勉強をするにも有用である。

このようにすれば人文学の勉強も無駄にならない。

たとえばまともに西洋哲学を勉強するなら英仏独の三点セットにラテン語ギリシア語は必須だろうが、これらの言語の知識は国際ビジネスをする上で絶対に役に立つ。

 

結局、人文学の勉強をするのが問題なのではなく、人文学の勉強しかしてないことが問題なのである。

人文学の学生が人文学だけを勉強することは禁止すべきだ。

補助金を使って締め上げれば簡単だろう。

もし反対するなら有権者の税金を当てにするな、ということだ。

明治時代みたいに勝手に補助金ゼロの教育機関を立ち上げれば良い。

とにかく、今の人文学というのは社会の迷惑になっている。

だから、あり方を見直して社会と人文学の双方が持続可能な形で利益を得ることができるようにしなければいけないのである。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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