グローバル引きこもり的ブログ

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「山月記」に出てくる謎の用語まとめ

山月記」は古代の中国を舞台にした作品なので、平均的な読者には調べなければ何のことだか分からない用語や地名が沢山出てくる。

中島敦 山月記

もちろん、「山月記」の文学的な内容は、小説が古代の中国を舞台にしている事だけ分かっていれば理解できるが、しかし改めて読んで見ると、このような用語や地名は結構ある。

山月記」は漢文調で書かれていることもあり、結構読み飛ばすような読み方をされるから、このような部分は多くの場合見過ごされてしまう。

つまり、普通の読者にとって、「山月記」は、いつ、どこで、だれが何をした話なのか、具体的なことが分からない。

それで何か問題があるか、というと特にないが、しかし「山月記」を一行一行読んでいくと、これらの調べないとわからない部分が気になってくる。

そこで、「山月記」に出てくる、中国史関係の用語や地名などを調べてみた。

僕は大して古代中国史には興味がないので(中国の近代史には大いに興味があるのだが)、ネットで適当に調べただけのものだが、「山月記」を理解する上で少しは役に立つと思う。

隴西・天宝・虎榜・江南・尉

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自から恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

隴西は中国のかつての地名で、今でいう甘粛省東南部に当たる。ここはイスラム教徒の回族が多いエリアで、他にもモンゴル族チベット族などの少数民族が住んでいる。日本人のイメージするチベットからはずいぶん離れているように見えるが、実はチベット族が暮らす地域の大半は中国にあり、したがってエベレストなどがある地域のほうが端である。とにかく、隴西という地域はこのようにいろいろな民族が暮らすかなりグローバルなエリアである事が分かる。

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甘粛省の東には、唐の首都であった長安(今でいう西安)がある陝西省がある。中央に乾燥地帯の黄土高原、北には砂漠、南には山岳地帯がある。なんだか暮らしにくそうな感じの所である。

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天宝は玄宗が王様だった時代の後半の事で、742年から756年までの期間を言う。日本でいうなら墾田永年私財法が制定された頃から(743年)、正倉院ができた頃(756年)くらいの期間である。

玄宗の知世の前半は大成功で、この時代が唐が一番栄えた時代らしいのだが、天宝になると玄宗楊貴妃にうつつを抜かして政治をおろそかにするようになり、それが遠因となって唐は内戦に突入する(安史の乱、755年から763年)。李徴が虎榜(科挙の合格者)の名につらねたのは天宝の末年だというから、ちょうど内戦が始まった時期に当たる。

江南とは長江の下流域の事。長江は東西に流れる川なので、下流域の南側である。例えば上海などは江南である。今の中国では、まさにこのエリアこそ国の中心となっているが、唐の時代では江南は後進的な地域だと見なされていた。首都長安から遠く離れたド田舎だったわけである。ちなみに、このような田舎には内戦の影響が及ばず、生活は普段と変わらなかった。行政機構が普段通りに機能している事からもこの事がうかがえる。おそらく地方の官僚には相当の権限が与えられていたのだろう(このような時代だと多分、そうしなければどうしようもない)。

尉とは軍事や警察関連の官職を示す。今でも自衛隊の将校の最下級の階級は尉であるが、これはこの時代の名残である。近代社会とは違って、古代中国では漢詩を作ったり、水墨画を描くなど教養があることが重要視され、軍事や警察の役職は尊敬されなかった(これが中国の発展の妨げになったことは間違いない)。いろいろな役得に関するうまみも少なかったのであろう。

つまり、李徴はこのような遠く都(首都長安)からはなれたド田舎の、世間では軽んじられた役職(賤吏)についたわけで、おそらく上司の質も高いものではなかったのだろう。詩人として名を成そうなんて考える李徴のような人間には耐え難い生活だったのかもしれない。

故山・虢略

いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交りを絶って、ひたすら詩作に耽けった。

故山とは故郷の事。虢略は今の河南省の西部に当たる。地域全体に川がたくさん流れる平野で、農業が盛んである。李徴がこのように隠遁生活を送ったのは、科挙にパスすることを目指す者は長い年月、そのような生活をしていることも影響しているだろう。

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進士・登第

しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴はようやく焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒に炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年のおもかげは、何処に求めようもない。 

登第とは合格すること。唐の時代、科挙には何種類か種類があった。進士はその内で最も難しいもので、全国で30人ほどしか合格者がいなかった。科挙の試験は3年に一度だから、年にすると10人である。科挙を受験するにはいくつかの学校を卒業する必要があり、卒業生はそれぞれの段階に応じて学歴が得られた。虢略出身の李徴が「隴西の李徴」と呼ばれるのは、隴西で学生生活を送ったからかもしれない。

科挙というのは難関のため、当然合格するにも長期間を要することが多く、合格するのは普通オッサンになってからであった。それを「豊頬の美少年」のうちに合格するのだから、自分ならば何でもできる、と思うのは無理もない。

科挙というのは働かずに勉強するための経済的な基盤がいる。だから、李徴の家もそれほど貧乏ではなかったのだろうが、一生詩作だけをしていられるほど裕福ではなかったのだろう。

如水

一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇やみの中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。

 如水とは今でいう撫河のこと。江西省の北部を流れ、長江に流入する。

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観察御史・陳郡・嶺南・虎

翌年、監察御史、陳郡の袁参という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未まだ暗い中うちに出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜よろしいでしょうと。袁參は、しかし、供廻の多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥しりぞけて、出発した。 

監察御史は全国を回りながら行政腐敗を発見して、これを処罰する役職である。行政腐敗が中国の深刻な問題であるのは、今も昔も変わりがない。観察御史にはその他に、地方で不穏な動きがないかを中央に報告するスパイとしての役割もあった。

陳郡は江南省東部を指す地名である。袁参がこの地で生まれたのかは分からないが、李徴の出身地は江南省の西部なので、広い意味では同郷人といってもよいかもしれない。

嶺南は中国の最南部で、たとえば香港は嶺南である。南にすぐ行くとベトナムである。気候は雨が多く、トロピカルである。

昔、中国の南部にはアモイトラという虎がたくさんいたが、環境破壊の影響で絶滅した。

商於がどこであるかはよくわからなかった。おそらく如水付近であろうが、まあ、虎がたくさん生息するような地方とでも考えればよいだろう(嶺南の北部には山岳地帯がある)。

まとめ

中国というのは近くて遠い国である。

21世紀になっても、僕も含め日本人は中国の事をほとんど知らないのだなあ、と改めて思った。

中国というのは広大で、一つのエリアが国ほどもあり、それぞれの地域によって文化が全く違う。

そして、何千年にもわたる歴史がある。

山月記」をきっかけにして中国について学ぶのも悪くない。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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