グローバル引きこもりブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール acc4297gあっとgmail.com

日本の教育と「Made In Japan」

日本の教育というのは日本の製造業に似ているなあ、と思うことがある。

どちらも「良いものを大量に」ということを目標にしていると思うのだ。

日本の工業製品が工場(それが日本にあるのか中国にあるのか、あるいは地球のどこかにあるのかは場合によるだろうが)で大量生産されるならば、日本の学校というのは国民を大量生産する国民製造工場というべきものかもしれない。

 

もし学校が一種の工場であるならば、問題となるのは品質管理で、日本のメーカーと同じように日本の学校はこの品質管理が相当しっかりされている。

日本の工業製品にはある種の均質性があるけれども、日本の教育の生産物である国民にもやはり、ある種の均質性がある。

普段、日本国民が便利・安心・安全な生活を享受できたのも、この教育における品質管理がしっかり出来ている事が大きい。

そして、日本社会というのはこの、「よい」人材が大量に供給される、という事に基づいて成り立っている。

新卒一括採用・終身雇用などの風習は典型的で、これらは安定した品質をもつ人材が大量に供給される、という事を前提にしたシステムだと思うのだ。

 

しかしながら、今、日本の製造業と日本の教育は共通の問題を抱えているように見える。

日本の家電製品に使いもしない機能が満載されているのと同様、日本の教育も必要のない教育のせいでコスト高になっている。

もっといえば、ぼったくりをする目的でコスト高にしているのだ。

家電製品の場合は少しばかりカネがぼったくられるだけだが、教育の場合は(税金を含む)カネに加えて生徒の時間がぼったくられる。

そして、その割に基本的な部分はものすごい適当だったりする。

基本的な冠詞の使い分けもロクに教えられない英語教育などはいい例だ。

 

思うに、日本の製造業も日本の教育も、何だかんだでそれなりに良い品質のものを製造していると思うのだが、時代が求めているものを供給する、という意味ではすこしズレている気がする。

特に教育の場合は競争というものがないから、教育関係者の自己満足、つまり理想の子供を作るという事があるばかりで、世の中がどのような人間を必要としているのか、という観点が希薄である。

教育を人材を製造する工場だとすると、今、その工場ではどのような製品が作られているのか?

そして、これからの国民製造工場では、どのような製品を製造することを目指すべきなのか?

製品にどのような性能を持たせることを目指すべきか、製品の品質管理はどの程度おこなえばよいか、製造コストはどこに、どの程度かければいいのか?

教育というのは、製造プロセスにかかる期間が非常に長いし、性能とか品質を計測しずらい人というものを製造するものなので、それが製造業であるということがあいまいになっている。

今こそ学校を工場みたいなものと考える事が必要なのではないだろうか。

教育を製造業とみなした場合、それは無駄だらけである。 

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。