夜、20年くらい前に卒業した中学校に行った
最寄りのドラッグストアで買い物をするとき、僕はだいたいおやつを買う。
僕の家はおやつを食う習慣があまりないので、家でひきこもっている僕にとってはドラッグストアから帰宅するまでの帰り道がおやつの時間になっており、これが平凡な毎日の中でいくつかある楽しみの一つとなっている。
その日はモナ王3つを買った。
過ごしやすい夏の日だったので、久しぶりにアイスでも食うか、と思ったのである。
モナ王を買うときに、2つにするか3つにするかで少し迷った。
もしモナ王2つならば、家に到着する前にモナ王を全部食べ終えてしまうだろう。
しかし、モナ王3つならば、家に着いた時点でモナ王を食べ終わってないから、家に早く入りたいのにしばらく家の前かどこかでモナ王を食べ終えなければならない(家の中で食えばいいのだが、家人の前で自分だけアイスを食っているのは気が引ける)。
その日の選択はモナ王3つだった。
どうもモナ王2つでは数が中途半端に思えたのである。
僕は閉店の合図の「蛍の光」を聞きながら、レジにモナ王3つを差し出した。
ところが、モナ王を3つ買った後で、急に、このまま家に帰るのは面白くないような気がしてきた。
モナ王3つに対して、ドラッグストアから家までの距離は短すぎてバランスが取れていないような気がしてきた。
(仕方がない、どこか他のところに行ってみるか)
そう考えて、僕はドラッグストアからどこに行くかを考え始めた。
近所の中型書店はどうか?
書店はこの前行った。
他に何か、もっと違う所はないのか?
そこで思い出したのは、僕が卒業した市立中学校である。
学校というのは普通、交通のアクセスがいい所に設置されるものだが、僕の出身中学は幹線道路から離れて住宅地の片隅にあるから、用がないので近くを通る機会がない。
この中学校に久しぶりに行ってみよう、と思ったのだ。
普段中学時代の事はすっかり忘れているのに、なぜ突然、出身中学に行こうという事を思いついたのかは分からない。
長い間、潜在意識の中では気になっていたのかもしれない。
僕はモナ王を齧りながら、ふらふらと中学校の方へと歩きだした。
中学校に向かいながら、僕は同級だった知人、友人の事を思い出していた。
これらの知人、友人との関係は悪くなかったが、その関係は表面的なものだったような気がする。
もう少し色々な話をすれば良かったな、と改めて悔やまれる。
当時の知人、友人から学ぶ事は沢山あったはずだ。
しかし、あの当時、僕の家は秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大受刑囚のものと同じようなものだった。
テレビ禁止、ゲーム禁止、「スポーツすると馬鹿になる」とスポーツまで禁止なのだから、今考えてみてもそれは気違いじみていた。
テレビも見れず、ゲームもスポーツもできず、他の子供との接点を十分に持つことが出来なかったのは残念でならない。
本当に、地獄のような日々だった。
ほとんど拷問といってよい。
僕は中学では、業者のテストで全学年240人中いつも7番くらいだった。
もうすでに視力のトラブルが出始めていた事を考えれば、割とよくやった方だと思う。
僕の中学からは20人くらいトップ高に行ったので、全学年で7番だったらトップ高に余裕で受かる。
そして、実際にトップ高の入試には余裕で合格したのだが、入学式の頃にはすでに秀才ができるような状態とは程遠く、あとは糸が切れた凧のように吹き飛ばされていくだけだった。
小中学生だった頃も8割くらいは死んでいたようなものだったが、高校になって完全にとどめを刺された。
30になる前、僕は、ああすればよかった、こうすればよかった、と後悔をしてばかりいた。
しかし、30になってだんだん健康が回復し始めると、あの当時はどうしようもなかったんだ、という事がはっきりと分かるようになってきた。
理屈ではなくて、あれは無理だった、とはっきり分かるのだ。
中学のころ、僕はそれなりにアドバンテージがあったと思う。
アドバンテージはあったと思うが、ディスアドバンテージがあまりにも強烈すぎた。
左手に、いきなり中学校が現れた。
長年見ていなかった中学校は、なんだかずいぶん小さく見えた。
小学校から中学校に入学した当時のスケール感覚が今でも記憶に残っているからかもしれない。
多分、僕の身長が大きくなった分、学校が小さく見えるのだ。
建物の高さも、学校の敷地もほとんど3割くらい小さいように感じた。
教師が残業しているのか、体育館と校舎の一部に明かりがついていた。
僕が在籍したころの若手教師も、今では完全に中年である。
関係者以外立ち入り禁止、の注意を無視してグラウンドを少し歩いた。
あたりには物音ひとつしない。
考えてみたら、中学時代というのは僕が生徒として生きる事ができた最後の時代である。
高校、大学時代はもう完全に廃人になってしまっていたので、なんというか、高校生とか大学生をした、という気がしない。
だから、僕の学生時代というのは実質、中学校で終わりなのである。
それもあるのか、長年の間をおいて中学校の校舎を訪れてみるとものすごい懐かしい。
懐かしいし、原点に返った気がする。
自分がいったい誰なのかを思い出した気がする。
僕は子供の頃から、「世界はなぜ、こうなのか」という事を考えて生きてきた。
子供の頃の疑問に答えるために今まで生きてきたといってよい。
そして、その当時の疑問にはとりあえず一通り、はっきりと納得できる答えが出せたと思っている。
だから今までの人生に後悔は一切ない。
僕は今、卒業した中学校から2kmくらい離れた家でひきこもっているけれども、精神的にはとんでもなく遠くまで来た。
もしかして、僕の経験した病苦は、あるいは毒親家庭で育ったという経験すらも、「お前に考える時間をやる」という天からの贈り物だったのかもしれない。
僕は「オレはこのままで終わらない」というような事をいうつもりはない。
そんな空元気を出しても仕方がない。
僕はこれからどうなるのだろう。
これからなにか大きな転機があるのか?
それともこのまま人知れず、ひっそりと滅びていくのだろうか?
しかし、極限状態で理解した事を世に伝えるという義務はある。
僕にそれを世に伝えるだけの力があるかは分からないが、義務はある。
そんな事を考えながら帰途に就いた。
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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
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