ブログと現実逃避
間違いなくブログには現実逃避の側面がある。
ブログを書く理由というのは時と場合によって様々だろうが、一番多い理由として、普段どうしても考えてしまう事を書き出す事で考えに一旦区切りを付けたいから、というのがあると思う。
例えば政治の話題などはそうで、政治について考えても大抵生活の妨げになるばかりで(まあ、政治というのは一人ひとりが参加するべきものであるけれども)いいことは何もない。
そんな事を考えている暇があったら「ミニマリスト」のブログでも読んで、カネのかからない生活をするための知恵を学んだ方がいいに決まっている。
しかし政治でもなんでもそうだが、人間はどうしても自分にとって本当に必要な事ばかり考えるようには出来ていない。
他にいくらでも考える事があるのに、いくら考えたところで何の役にも立たない事ばかり考えてしまう、というような事はよくある。
要するに現実逃避である。
そこで考えをブログに書くと、ひとまず考える事から解放されて自分にとって本当に必要な事に取り組める。
ブログというのは書くのが大変だから、エントリーを書いた後はもうこれについて考えるのはいいか、という気分になる。
もちろん、なにもブログを書かなくても、そのような考えは人と話をする事で解消されるのが普通だろうが、話を聞いてくれる人がいつもいるとは限らないし、話題によっては人に話すわけにはいかないようなものもある。
そして話というのは話した瞬間に消えていくので、どうしてもある種の虚しさが残る。
なので、これは直接的には役には立たないけども面白いには面白いからブログに書き残しておこう、という流れでブログのエントリーを書く事になる。
もっとも、考えをエントリーにしたらば取り組むべき事に取り組めるようになるか、というとなかなか難しいけれども、少なくとも言いたいことを溜め込んだままでいるよりはマシだろう。
しかしここで、現実逃避をする必要が全くなくなってしまったらどうなるか?
思うに、現実がうまくいけばいくほど物事について考える事はなくなる。
色々とうまくいかない事があるから、物事を考える必要が出てくる。
何も考えなくても物事が進んでいくのがよい状態で、ある意味考える必要がある時点で駄目なのである。
もし何もかも調子がよいと良い事も悪い事も全部忘れてしまうだろう。
それらはすべて過去に属する事だから、改めてそれらを吟味するよりも先の事について考えたほうがいい。
良い事だろうが悪い事だろうが、すべて忘れてしまうのが一番いいのだ。
しかし、そうだとするとブログを更新するという習慣は生きるための妨げになりうると思う。
ブログを書くというのは考える事だが、現実問題として生きる上では考えなければ考えないほど勝ちである。
世の中の問題というのは考えても納得できるような答えに行きつかない場合がほとんどだ。
ある意味、考えるというのは逃げなのだ。
おそらく、世の中の流れにうまく乗っていくためには場合によっては何時間もかけてエントリーを書くよりは次の日に備えてエネルギーを蓄えるべく寝ていた方がマシだろう。
僕みたいに、社会の中でどうも丁度いい居場所がないような人にとってブログは非常に重要なものである。
しかし実生活がうまくいっている人とか、うまくいきはじめた人にとってブログの必要性はあまりない。
ブログが続きにくい、というのはこの事も影響していると思う。
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