ここ一年、努力の9割以上をブログに使った気がする
ここ一年を振り返ると、努力の9割以上をブログに使っている気がする。
感覚でいうならば努力のほとんど99%くらいブログを書く事に使っている気がするくらいである。
それくらいブログを書く以外の事をしていない。
ほとんど何一つしていないと言ってよいと思う。
それではブログを一日に何時間をかけてカスタマイズするなりエントリーを書くなりしていたか、というと、見れば分かるようにそのような努力をもってブログをやっていたわけではない。
考えてみたら働いている人は楽な職場でも一日に8時間は働いているわけで、せめて一日3時間くらいはブログに使ってもよさそうなものだが、実際僕がブログを書くのに使っている時間は一日あたり一時間もないだろう。
そしてブログのエントリーを一つ書くたびにくたびれてしまうのでブログのカスタマイズなどに使っている時間はゼロである。
ブログを立ち上げて一年以上経つのに、サブカテゴリーさえも設定していない。
一方、努力を必要としない受動的な活動に関してどのような事をやったかを考えても、なんだかんだでブログに関連する事ばかりしていたような気がする。
ここ一年はほとんど、ブログに何を書くかを考えていたようなものかもしれない。
もっとも、ブログを書こうが書くまいがどちらにしても考え事というのはするわけで何が違うかというと何も違わないような気がするが、これまでは考え事をしても自分にしか意味を持たなかったのに今は考えを文章にして公表するようになった事がちがう。
一日中(世間的には無為のままに)考える人であったのが一日中ブログをやる人になったわけで、この違いは大きい。
もちろん僕のブログの内容に価値を認めない人にとって無為である事は変わらないが、それでも何らかの「成果物」らしきものがあるだけマシであろう。
しかし、それにしても一年間、労力を要しない受動的な事ばかりやってきたものだと思う。
ネットを使うにしても知っているTwitterのエントリーを延々と読むとか、はてなブックマークのタイムラインを延々とみるとか、とにかく受動的な事ばかりやっている。
その他にする事と言えばテレビを見るか外出して本屋をふらふら歩きまわるくらいで、受動的でない時間が非常に少ない。
ブログを書くことがほとんど唯一の能動的な活動である。
他には何もしていない。
そのブログを書く時間も、先ほど書いたように一日にすると一時間もない。
完全に無気力な生活と自信を持って言える。
もっとも、そのような生活をして後悔があるか?というと特に後悔があるわけでもない。
ブログを書くことについては自分でも納得できる活動ができたと思う。
僕が納得できるエントリーを書いているかどうかなど世間からするとどうでもいいだろうが、とりあえずここ一年に書いたものを読み返しても満足感がある。
思ったよりも面白いものが書けた。
ブログ以外の事も取組めればもっとよかったのだろうが(というか、取り組めないと駄目なのだが)、できる事がブログを書く位しか無かったという事だろう。
もっとも、世間的にはブログを書くことも受動的な活動に分類されるのだろうが。
しかし、このように具体的に自分がここ一年やってきた事を書きだすと、ずいぶん極端な一年だったとはっきりと思い知る。
まあ、年末ではないのに一年(つまり去年の9月頃から今年の9月まで)を振り返ってみたが、これから年末までにブログとブログ以外の事で何ができるのかを考えよう。
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