グローバル引きこもりブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール acc4297gあっとgmail.com

月収100万円の生き方を考える

もし収入が月に100万円あったらどうするか?

もちろん手取りで月に100万といっても状況によっては全然たりなかったりするのだろうが、ここでは月に本当に丸々100万円自分だけのために自由に使えるカネが入ってくる、という状況を考える。

この質問というのは結構興味深い。

というのは、この質問を考えるという事は自分にとって本当に重要なものは何かを考える事であるからだ。

 

世の中の多くの事というのはほとんど月に100万円もなくても出来るような事ばかりである。

テレビを見るというのもそうで、大金持ちも貧民も同じようにテレビを見るし同じように見るしかない。

せいぜい大金持ちならバカでかいリビングでテレビを見ているくらいの違いしかない。

食い物にしても読書にしてもマンガ・アニメ・ゲームにしてもそうである。

これらのコンテンツを普通に消費する限り、カネというのは大して必要ないのだ。

 

それではカネがないといけない活動というのは何であろうか?

僕が思うに、人間関係が絡むとカネというのは途端にかかるようになる。

というより究極的にいうと人間の出費というのはほとんど人間関係がらみなのではないか。

人付き合いというのはカネがかかる。

もし人間関係をすべて切り捨てるという生き方をするならばカネというのはほとんどかからないと思う。

 

カネがあると、人間関係の幅を広げやすくなる、という以外に面倒をカネで解決できる、というメリットがある。

少なくともカネを使えば面倒を先送りする事ができる。

例えば僕は最近部屋の片づけをしているのだが、月に100万使えるならば部屋の片づけをせずにそのままどこかに部屋を借りて引っ越すという事も出来る。

部屋を探すにしても月に100万あれば普通の物件ならばどこでも借りれるわけだから相当楽だろう。

他にもカネでもって解決できる問題というのは相当たくさんあるような気がする。

しかし例え僕がいきなりカネが使えるようになったとしてもいづれ部屋の片づけをしないといけない事には変わりがないわけで、多分カネの力というのは問題を解決するというよりは問題の解決を楽にするという事に限定されるような気がする。

 

僕のように世間から離れていると、無意識のうちにカネがないから何もしないで過ごそう、というような方向に流されやすい。

しかし考えてみたら、実際に自分がしないといけない事はほとんどカネなしでできるものばかりだ。

カネがあれば楽に出来るが、カネがなくても少しばかりの労力を使えばなんとかなる場合が大半である。

カネのあるなしで一体何が違うのか?

自分の生活を反省するために一日一度くらい月収100万円の生活を考えてみるというのは結構悪くないかもしれない。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。 

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。