グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

国際交流って意味あるんだろうか?

サンフランシスコにおける例の反日像の影響で、どうも大阪市は本当にサンフランシスコとの姉妹都市の提携を解消するらしい。

これは維新出身の大阪市長が言い出したことだが、与党の自民党公明党も賛成しているので何らかの介入がない限り提携の解消は確実だろう。自民党公明党がどちらも賛成、というのは少し意外な気もするが、ともかくカネを使わずにインパクトを出せる方法ではある。

さて、例の反日像だが、これはもちろんカリフォルニアの反日アジア人が日本人に損害を与えることのみを目的としているもので他には何の意味もない。カリフォルニアというのはイメージだけをつくろったニセモノの一大産地という側面があるのだが(そして、それはカリフォルニアにはアジア系住民が多い事と無縁ではないと僕は考えているのだが)、この反日像などは典型的なカリフォルニア的ニセモノといえる。

しかしながら、この一件でつくづく考えさせられるのは、いったい国際交流って意味があるのだろうか、ということた。

これまで大阪市とサンフランシスコとの間にどのような交流が行われてきたのか僕は知らない。交流といっても無くなったところでだれも気づかないようなようなものだったのかもしれない。しかし、はっきりしているのは、大阪とカリフォルニアが姉妹都市であることはカリフォルニアの住民が客観的に歴史を考えることには何の役にも立っていないということだ。

国際交流というのは相互理解を深めることが目的であると僕は認識しているが、大阪市とサンフランシスコが交流したところで日本人が「国際社会の常識」を学習して終わるだけで全然相互理解にならないだろう。そして、カリフォルニアで反日アジア人がやりたい放題をしている現状などはこのことをある程度は反映しているのである。

普通、国際交流というのはいいことで、やればやるほど社会が文化的に豊かになると信じられている。しかしながら国際交流をして実際に起きることは何かというと、せいぜい、しがらみや利害関係などが堆積して人間の考えがどんどん薄っぺらくなっていくだけなのではないか。そして、カリフォルニアで起こっていることは、まさにこれの典型例だと思うのだ。

もし大阪市とサンフランシスコとの間で交流が何もなくなったとしても特に不都合があるわけでもないだろう。これを機会に、日本人は国際交流とか国際化に対する迷信を放棄するべきなのではないだろうか。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。