なぜ新自由主義はうまくいかないのか
ここ数十年、日本は変わりつつある、と毎日のようにいわれてきたわけだが、言われている割には日本社会の方向は全然変わってなかったと思う。
そういう発言がされるときは、何か感想を言うときにそういうことを言っていればとりあえず形になるからそう言っておこう、という場合が多かったのではないか。
あるいは、人々の認識は変わってきていても、その変化は、それが人々の実際の行動の変化に現れるほどのものではなかった。
具体的には、日本は相も変わらず、「努力」したものは報われるべき、「怠けた」ものは処罰されるべき、したがって様々な競争に勝ったものは全てを手に入れるべきであり、競争に負けたものは勝ったものに奉仕するために生きるべき、という、既得権益者にとって都合のいい解釈をされた新自由主義がこの数十年の日本を支配してきたのである。
あるいは、これは物事の判断の全てをマーケットに任せて、マーケットが高くプライシングした人が得をする仕組みであればあるほど正しいと考えるのと同じだと言っていい。
そうすることによって、マーケットによる力(あるいは暴力)によって社会正義が実現され、社会は最高の効率で機能するようになると喧伝されてきたのだ。
その結果どうなったか?
ここ数十年のネオリベ政治を通じて人々が理解しつつあることは、このようなアプローチは極めて筋が悪いということだ。
マーケットにまかせておけば、マーケットの参加者はマーケットで勝つために倫理的に正しいことをするはずだ(正直者は報われる)、というのが新自由主義が支持された理由だった。
しかし、実際に起こったことはと言うと、マーケットの参加者はマーケットで生き残るために必要ならばどんな悪いことでもするようになり、社会全体の効率が低下した。
悪いことをしないまでも、問題に対処をする際、短期的な「成果」を出すためのその場限りの先延ばしが社会の至る所で行われるようになった結果、社会全体を閉塞感が支配するようになった。
結局、「格差」がひどくなる一方の新自由主義はある時点でうまくいかなくなる。
なぜなら、格差を肯定する新自由主義ではマーケットの敗者から容赦のない搾取が行われるが、これは前向きな努力を促す以上に生き残るためには悪いことでもする、というインセンティブを強化するからである。
そして、悪いことをして「結果」を出す(マーケットで評価をされる)と、マーケットで評価されているのだから悪いことをするのが正しい、ということになってしまうのだ。
これが、マーケットを機能させるのに社会保障が重要な理由である。
生き残るために悪いことをしなければいけないならば、みんな悪いことをするにきまっているのだ。
マーケットは悪を排除しない。
世の中で繁盛している悪質なビジネスをみれば、このことは明らかである。
これからの社会はベーシックインカムがないと回らないと思う。
マーケットを機能させるためには社会保障が重要であるが、これまでの社会保障はあまりにも効率が悪すぎるし、役人が命綱を握ることは「弱者」の「自立」を阻害する。
情報技術の発達により、ベーシックインカムの実現性はますます高まってきている。
どんなギャンブル中毒者でも、一月に六万円ではなく毎日2,000円振り込まれるならギャンブルをせずに食材を買ってくるだろう。
案外、いますぐにでも国民全員に15,000円程度でいいからカネを撒きはじめてもいいのではないか?
少なくとも困窮家庭で暮らす人の交通費や電車賃くらいにはなるし、これだけでも相当な効果があるとおもう。
15,000あれば、一応死にはしないのだ。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。