グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

受動的なネットユーザーと能動的なネットユーザー

最近、CSで英語の放送を見る時間を取るようにしている。ちょっと日本語のテレビを見る時間が多くなりすぎた。

僕は英語の勉強を初めてからずっとテレビというとスカイパーフェクトTVでBBCかCNNを見るだけだったのだが、半年ほど前から地上波のテレビ番組を見るようになった。初めは録画したものを見るだけだったが、そのうちテレビのチャンネルを回して面白そうなものも見るようになった。

それで思ったのは、よくネットなどで言われている、ネットでの情報はテレビの情報よりも質が高い、というのはまったくのデマなんじゃないか、ということだ。ネットにあるコンテンツの方がテレビのコンテンツより質が高いとはどうしても思えないのだ。

どう考えてもよくできたテレビ番組を一時間みるほうがだらだらと一時間ネットをするより有意義だと思う。それは当たり前の話で、テレビ番組を一時間作るのにはとんでもないカネがかかるのだ。なんのカネもかかっていないネットのコンテンツと比べておもしろいのは当たり前である。

百聞は一見にしかず、というのはテレビのためにあるような言葉で、うまくできたテレビ番組の情報量は軽く本一冊分以上になる。というか、本を何冊読んでも分からない情報を提供するのがテレビなのである。もちろん、テレビ番組にはつまらないものもあるが、番組表からおもしろそうな番組を探して録画すると大抵おもしろい。

それなのに、どうしてテレビよりネットのほうが情報源として評価されがちなのか?

思うに、ネットユーザーには僕のように受動的にネットを使っている人と、能動的な使い方をしている人がいるのだと思う。

インターネットというのは、受動的な使い方をしているとつまらない。もちろん、Twitterのアカウントとかにはものすごいディープな情報や考えを流しているアカウントもあるので、そのようなアカウントのタイムラインを読んでいると自動的に有益な情報が入ってくるのだが、口を開けて「キュレーションサイト」を眺めるだけだとテレビを見ていたほうが有意義だろう。

能動的にネットを使っている人は自分に必要な情報が分かっている人で、自分に必要ない情報には興味がない人なのではないだろうか?そういう人は自分に必要ない情報はおもしろいと感じない。そういう人がネットを使うとなると、自分に関係ある情報だけを能動的に集める事になるだろう。だから、そういう人にとってはテレビよりもネットの情報のほうが価値があるのである。

コンテンツの出来と情報が役に立つか、というのは別のことである。もし、テレビで放送されている番組がすべておもしろいとしても、一日中テレビだけを見て生活するわけにはいかない。

僕は英語の勉強を初めてから十年くらい、テレビは国際放送しか見なかった。確かに国際放送を見てはじめて分かることは多いが、おもしろさという点では日本のテレビのほうがおもしろい。 国際放送より日本のテレビの方がカネがかかっているからだ。しかし、もし十年間、国際放送のかわりに日本語のテレビだけを見ていたとしたら今の自分はない。国際放送をみても勉強になるだけ、といえばそうだが、英語力は残った。

社会から離れていると、どうしても情報の取り方が受動的になる。ネットの使い方を反省しないといけない。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。