ヨーロッパやアメリカでは選手は自分のためにプレーしているという妄想
オリンピックなどのビックイベントがあると、いつも、日本人選手は自分のためにプレーするべき!国のためにスポーツをしているのではない!みたいなことをいう連中が出てくる。
まるで、ヨーロッパやアメリカでは代表選手が自分のためだけにプレーしているような言い方だ。
しかし、オリンピックやサッカーワールドカップなどで国を代表して戦う選手で自分のためだけにスポーツをする選手なんて世界のどこを探しても存在しないだろう。
僕は英語を勉強していたとき(まあ今でも勉強しているけれども)、たまにiPlayerをつかってBBCのラジオ番組を聞いていた。
それで、いつのワールドカップだかが開催されたときも5Liveなどを聞いていたのだが、ワールドカップが終わった後ある番組で、街で代表選手をみたら何というか?と言うお題でリスナーからメッセージを募集しているのをたまたま聞いたことがある。
最優秀に採用されたメッセージは、「俺のサイン欲しい?(Do you want my autograph?)」だった。
ここまで残酷なことをいえるのはたぶん日本人とイギリス人くらいだろうな、と思いながら大笑いした。
そのワールドカップでのイングランド代表のくわしい成績は覚えていない。
英国人の事前の期待を大きく下回る成績だったことはたしかだ。
イングランド代表の期待外れに英国中が怒り狂っているのはインターネットを通しても伝わってきた。
ネットのコメント欄も、「彼ら、あの試合の前にはPKの練習をしてたのよ!笑っちゃうわ!」とか、そんな感じだった。
ある選手は、試合に負けた後で他の選手と談笑しているところをタブロイド紙に撮られ、「試合に負けたのにヘラヘラしやがって!」と猛烈にバッシングをされていた。
これが本当のヨーロッパだ。
ヨーロッパといっても、東欧の世界情勢に関心のある人でなければ聞いたこともないような国の話ではない。
間違いなくヨーロッパで一番最先端を走っている英国だってそうなのだ。
こないだBBCを見ていたら、前回のソチオリンピックで散々な成績でおわったスピードスケートのメダル候補が出ていた。
オリンピック後は脅迫などが殺到し、半年ほどは怯えながら暮らしていたという話だった。
スピードスケートなんてかなり地味な種目のように思えるが、そんな種目でも期待外れだったら脅迫が殺到するレベルなのだ。
期待に応えられなくても命の心配をするまではいかない日本はまだまともな方で、南アメリカの選手がワールドカップでヘマをやったら文字通り殺されかねない。
国民の方がそうなのだから、もちろん選手のメンタリティーだって同じようなものだ。
国を代表するというのはそういうことだ。
個人としてスポーツをしている代表選手なんているわけがない。
国を代表しているからオリンピックやワールドカップでの勝利は価値があるのであり、だからこそ負ければ理由がどんなものであっても全責任を負う。
期待外れに終わり、国民の皆様に申し訳ない、と思わないようなものならば勝利の栄光だってその程度のものにすぎない。
これは日本だけではなく、日本の外でも全く変わりがない。
それなのに代表選手に国の代表として大会に参加する必要はない!みたいなことをいう連中が後を絶たないのは何なのだろうか?
メシを食いながら国際放送を見てたらわかる程度のことも分からないような連中なのだろうが、うんざりするので本当になんとかしてほしい。
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