なぜ受験科目に古文があるのか
時々なんで受験科目に古文なんてあるのかというような意見を目にすることがあるが、難関大学の受験科目に古典のような科目があるのは合理的だと思う。
まず、勉強というのはなにかというと、基本的には選抜である。
だから、受験科目に古典があることについて考えるには、古典の知識が今の社会で役に立つかどうかという観点ではなく、古典という教科によってどのような人間を選抜しようとしているのかを考えなければならない。
ここで重要なのは、古典を学ぶということは日本の伝統や文化、歴史をリスペクトするということだということだ。
いまの日本人がいまの日本人であるのはこれまでの日本の伝統があるからで、今に伝わる古文を学ぶことは日本の伝統を直接学ぶことである。
つまり、古文が受験科目に入っているということは、日本の教育制度が日本の伝統を尊重して積極的に学ぶ生徒を評価しているということだ。
これはそれなりに合理的だと思う。
もし、日本の伝統なんてどうでもいいという人がどんどん東大や京大に入るようになったら日本は無茶苦茶になってしまう。
ある意味、古文というのは現代文よりも重要なのだ。
これからの時代は、民族の伝統や文化、歴史がというものがこれまで以上に重要になってくることが予想される。
古典の重要性はもっと認識されるべきだと思う。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。