グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

未来の学校

この間たまたま近所の小学校のそばを通りかかったら、運動会の仕込みなのか、校庭で教師らしい人物がソーラン節を指導していた。ソーラン節の音楽が流れる中、小学校の体操着の上になんだか法被にすらなっていないへんなちゃんちゃんこみたいな衣服を着せられた低学年の子供の前で、校庭のど真ん中に設置した台の上でソーラン節を踊っていた。

近くに接近して詳しく観察したかったのだが、どうも動きや声からして三十代前後くらいの若者のようだった。今の小学校は自分よりはるかに年下の若者が教師をやっているのか、という当たり前といえば当たり前の事実に衝撃を受けながら僕はその教師がソーラン節を踊っているのを眺めていた。

うまくできているとも幼稚ともなんともいえないソーラン節の振り付けを教師は官僚らしい確実さと若者らしい身のこなしをもって踊っていた。

この教師はソーラン節の振り付けをどこでどのようにしておぼえたのだろうか?夜に帰宅後、テレビの前でソーラン節の振り付けDVDでも見たのだろうか?それとも教師で集まって集団で振りを覚える、みたいなイベントがあったのだろうか?振りをおぼえるのに何時間かかったのだろうか?そもそもこの教師はソーラン節をやることに、もっというなら運動会をやることに賛成なのだろうか?

三十前後の若手教師は仕事が終わったら普通の若者である。小学生教師になりたい大学生が送る生活の延長みたいな生活を送っているはずだ。そしてそういう若者が未来の学校がどのようなものになるかを決めるのだ。

今の若手教師は何を考えながら教師をやっているのか、そして今の子供にはこれらの若手教師はどのようにみえているのか?など、様々なことを考えながらお年寄りの僕は家に帰った。