グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

hagex氏に見られる持てるものの傲慢

hagex氏が亡くなった後、ネットでは故人を偲ぶエントリーが多くかかれた。故人は本当に素晴らしい人であった!と賞賛するものから、まあいい奴だった、というものまでそれぞれ温度差はあるようだったが、とりあえずhagex氏を悪くいうようなものは見当たらなかった。

僕は当然hagex氏には実生活でもネット上でも一切面識がない。しかし、hagex氏が持てるものの側からブログをやっていたのはたしかだろう。hagex氏を偲ぶエントリーをよみながら、僕はhagex氏が殺されたのはhagex氏が持てる者だったからなのだろうと思った。持てるものが絶対安全なはずの高みから持たざる者を攻撃していたからこういうことが起きたのだ。

刺殺直前にhagex氏が開催していたセミナーをレポートしたエントリーには、撮影禁止として画像の代わりに自筆の似顔絵が紹介されていた。誇らしげな表情をしたhagex氏の肩には、これ見よがしに子供らしき人物の絵が描き込まれていた。こんな見せびらかしをしているから刺し殺されたんだろうな、というのが僕の正直な感想だった。

持たざる者になりたくてなった者など誰もいない。低能先生だって、好き好んで低能先生をやっていたのではないはずだ。

低能先生には世の中で生きていく実力がなかったというのはその通りだろう。しかしながら、実力がもし無いならばそれはしかたがないことで、説教をしたら実力が向上するわけでもない。ましてや、持たざる者を煽るだけ煽ったところで建設的な結果は何一つ出てこない。

持てるものになるか持たざるものになるかなんて、結局は偶然の結果だと思う。この点について持てるものは謙虚であるべきだ。僕は、ただ面白いからという理由で持たざる者を馬鹿にすることには反対だ。