グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

hagex氏刺殺と実名・匿名

今回hagex氏が刺殺されたという事例は、あらためて実名と匿名それぞれが持つメリットとデメリットを考える上で有益であると思う。

まず、匿名での発信というのはメリットがいくつかあって、ひとつは匿名での発信は安全であるということだ。なぜなら、匿名だとどこでどのような人物が情報を発信しているか分からないから攻撃のしようが無い。

もちろん相手の精神に対して攻撃を加えることはできるが、所詮は情報に過ぎないからそのうち忘れる。

往々にして、真実を語ることは危険である。身の安全を気にせず真実を語ることができる、というのは匿名での情報発信がもつおおきなメリットといえる。

2つ目のメリットは、人間関係を気にせず情報を発信できる、ということだ。実名での情報発信は、どうしても自分の人間関係を考慮した上で情報発信をせざるを得ない。つまり、自分の知人友人を敵に回すようなことは一切かけないのである。

その結果、本当に書くべきテーマから目を背けるならまだしも、自分のPRのために真実とは逆の議論が行われがちであることは言論の世界で日常的にみられることである。

それとも関連するが仕事の問題もある。会社にとって、社員がブログをやっているなんてどう考えてもいいことではない。

中にはブログをやることで仕事にもよい影響があるのでは?と考える意識の高い上司もいるかもしれないが、ふつうの会社にとってブログをやっている社員などリスクでしかないだろう。

このように現実的な社会的制約に関係なくできる匿名での情報発信は言論の自由において絶対的な意味がある。匿名での活動は、自由で安全であり素晴らしい。

しかしながら匿名の世界での発言には限界もある。基本的に、匿名の世界にいるかぎりはすべてをひとりでやらなければいけない。

周りを巻き込んでムーブメントをつくる、というような活動には匿名は不向きである。考えてもみてほしい、いったいどのようにして匿名のままApple Computerを創業して伝説的人物になるなんて事ができるのか?

そこまでいかなくても人と会って話すレベルでも匿名ではやりにくい。だって匿名なのだからどんな奴が出てくるか分からない。匿名だと、こちらの方は安全だがその分相手の方にリスクがある。

実名だと、いっていることがどうしても無責任になりがちなのだが「社会的信用」はこちらの方がある。なぜなら、実名というのはあらゆる社会生活にリンクしているからだ。

結局、匿名による活動は自分ひとりで終わりである。自分ひとりで終わりになるし、自分ひとりで終わりになるから匿名での活動は消えやすい。それがいやというならば自分の名前を出さなければならないだろう。

匿名による活動と実名による活動にはそれぞれ利点と欠点があるが、実名を出すことが活動の妨げにならないのならば実名を出したほうが活動の幅が広がるような気もする。