資本家性善説とその終わり
ここ数十年、世界は「資本家を優遇するのが社会のため」と信じてやってきた。その背景には「金持ちは善良だから金持ちなので、金持ちの善意を信じて金持ちの思うようにやらせよう」みたいな一種の性善説があったと思う。しかし、このように金持ちを優遇しても、金持ち側から出てくるのは金持ちに都合のよい話ばかりで問題が一向に解決しないことはもはや明らかだ。金持ちの善意などには見切りをつけ、「個人が大金を持っていてもろくな事にならない」という常識に立ち返ることがこれからの社会に必要だ。
ここ数十年、世界は「資本家を優遇するのが社会のため」と信じてやってきた。その背景には「金持ちは善良だから金持ちなので、金持ちの善意を信じて金持ちの思うようにやらせよう」みたいな一種の性善説があったと思う。しかし、このように金持ちを優遇しても、金持ち側から出てくるのは金持ちに都合のよい話ばかりで問題が一向に解決しないことはもはや明らかだ。金持ちの善意などには見切りをつけ、「個人が大金を持っていてもろくな事にならない」という常識に立ち返ることがこれからの社会に必要だ。