「失言」する覚悟
それにしても、「維新」の長谷川某も幻冬舎の見城氏も、失言したあとでどうしてこうも易々と謝罪するのか?しかも、その謝罪の内容も、多くの人にご迷惑をおかけしたとかそういうどうでもいいものばかりである。これはつまり、信念と覚悟を持って「失言」しているわけではない、ということだ。失言するなら、発言内容はもちろんのこと、それとは反対の意見の妥当性や、発言が社会に与える影響、自分がどのような批判にどの程度耐えられるか、というような計算を徹底的にしてから、覚悟を決めて「失言」すべきだ。そうでないならば始めから失言などするべきでない。もっとも、このような計算をしないで行動してしまうからこそ、長谷川氏や見城氏の成功があったのだろうけれども。