グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

メディアの変化と教養の変化

教養について最近言われることについてつくづく思うのは、教養を流通させていたメディアが変わると教養も変わるんだな、ということだ。たとえば、僕の世代までは知識というのは基本的には本を読むことで入手するのが普通だった。本を読むとなると、どのような本を読むかが問題になるが、読んでおくべき定番の本とか定番の分野についてはなんとなく共通の理解があるからそういうような本を読む。みんなが同じような本を読むからお互いに話が通じる、というのが教養の本質だったと思う。音楽に関してもそうだ。昔はレコードとかCDなどでを買ってきて音楽を聴いていたが、とりあえず何を聞くかというとみんなが聞いている定番の音楽を聞くことになる。みんな同じようなものを聞いていれば、共通した音楽の知識をもとにして音楽について語ることができるようになる。インターネットによって、教養のあり方は少なからず変化した。ゲームの世界を考えるとこれはよく分かる。スマートフォンの世界は、だれでもファミコンDQ3を遊ぶような世界とはまったく異なる。ある意味、既存メディアは定番を作ることを目標にしているといってよいが、インターネットにはよくも悪くも定番を作る力がない。興味深いものはあってもその場その場で終わってしまう感じがする。だからインターネットがどうなろうが既存メディアは残るのだが、インターネットがあるだけ既存メディアは本気でコンテンツを作らないといけないだろう。そして既存メディアがどのようにコンテンツを作ればよいか考えるとき、普遍的なコンテンツというものをどう考えるかが重要になってくるように思う。