グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

「ヘイトスピーチ」をヘイトスピーチとして展示することはできるか?

「日本人のための芸術祭」催しを続行 反差別団体は抗議

https://www.asahi.com/articles/ASMBW6DGQMBWOIPE017.html

在特会」関係者が主催したこの展示会にはいろいろ考えさせられる。というのは、この展示会は「日本人のための芸術祭」というタイトルとなっているのだが、これが「朝鮮人をターゲットとしたヘイトスピーチ展」というようなタイトルだとしたらどうなるんだろうか、と思ったからだ。同じことは左翼的な展示会についても当てはまる。「表現の不自由展」にまつわる一連の騒動は記憶に新しいが、もしこれが「展示を拒否された政治的作品展」というタイトルであればどうなのだろう。どんな頭がおかしくても、「不自由展」で取り上げられた作品が「展示を拒否された政治的作品」であることを否定する者はいないだろう。僕は「不自由展」の作品に面白いものがあったように「在特会」の展示会も実際に見てみたら(多かれ少なかれうんざりはするだろうが)案外面白いものもあるのではないかと思う。ハングル板名物だった「朝鮮いろはカルタ」などはネット文化史として間違いなく重要だし、僕も見てみたい(検索したが見当たらなかった)。僕はヘイトスピーチを行政が規制すべきという考えには反対だ。真実があるとしたらそれはどうしてもヘイトスピーチを含むし、どんなヘイトスピーチにも一片の真実があると思っている。今回、ウィル愛知は展示内容を確認した上で「在特会」に会場を貸した。貸した理由は簡単で、これをやることで暴力行為や脅迫などがないと期待されたからである。結局、「ヘイトスピーチ」のあつかいは暴力行為を起こすかどうかを基準にするしかないだろう。何が暴力行為を引き起こすかについては、すくなくとも政治的立場によらない合意が得られるであろうから。