グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

一部の演劇関係者が叩かれる自然

一部の演劇関係者が叩かれることに対しては様々な批判がある。こういう、叩いてOKになった人をここぞとばかり叩くのは醜悪であるとか、こういう演劇関係者が本当に何を言いたいのか考えるべきだとか、そういうものだ。しかし、これらの批判は僕にはまったくの見当違いに聞こえる。なぜなら、一部の演劇人の発言の背後には、演劇みたいな文化的なことに価値を見出す一方で、そういう文化的なこととは正反対の世界を見下すという中産階級的な価値観がはっきりと存在するからだ。スポーツ選手がスポーツをするよりも演劇関係者が演劇をする方が価値があると内心思っているから「演劇はスポーツとは違う」という発言が出てくるし、工場で工員をしているよりも演劇関係者が演劇をしているほうが価値があると内心思っているから「演劇は製造業とは違う」という発言が出てくるのである。そして、そういう価値観が完全に当たり前になってしまっているからカネのことを話すにしても、支援をお願いするというよりは、自分たちが支援を受けるのは当然で国がそのような義務を怠るのはけしからん!というような感じになってしまうのだ。これでは叩かれるのは当たり前で、だから世間が一部の演劇関係者を叩くのは非常に自然なことなのだが、自然と言えば世間から叩かれるような発言を繰り返してしまう演劇関係者のあり方だって自然である。そういう価値観のもとで育った人が文化的でないことを内心見下しながら言いたいことを言って好きなことをやる。それはそれで、考えてみたら自然であるのだ。仕方がないではないか、文化的でないことを見下す人間が演劇の世界に一人もいなかったとしたらそれこそ異常というべきだろう。世間が演劇関係者にひどいことをいうのも自然であれば、演劇関係者が世間に叩かれるようなことを言って叩かれるのも自然である。全ては自然なのであり、だから何の問題もないのだ。