過労自殺という投資の失敗
最近、高橋まつりさんという東大文学部出身の女性が過労自殺した事が話題となり、僕自身も含め多くの人がこれについての記事を書いているが、次のエントリーは色々と考えさせられるものだった。
この記事において、さんエリさんは(3年でエリート官僚を辞めた、という事がハンドルの由来だと思うけど)次のように書いている。
自殺すること自体が悪いことなのかどうか、私には分かりません。
しかし、自らその生命を絶ってしまうことは、勿体無いことだと思います。
それまでの人生の中で、自分が自分にしてきた投資と、その後の人生で得ることができたかもしれない楽しみを、全て放棄してしまう行為だと思うからです。
こういう話にいきなり投資という妙に現実的なキーワードが出てくる所がいかにもさんエリさんらしいと思うが、僕はこの投資というキーワードは世間がうすうす気づいていてもなかなか直視できない物事の一面を表していると思う。というのは、投資というのは場合によっては大損する事があるからだ。
ここ最近なにかと高橋さんの話ばかりを例に出して申し訳ないけど、たとえば報道によると高橋さんは12時間の猛勉強をして東京大学に合格し、文学部を卒業したという。高橋さんが大学で勉強したのは社会学なのか、歴史学なのか、あるいは印度哲学なのか、どうして文学部なのか、文学部という進路がどの程度本人の本意だったのか僕は知らないが、とにかく高橋さんはすべての資本・リソース(体力、時間、カネ)を投資して大学に合格したのだろう。そして大学に入った後はやはり大手に就職するためにありったけの資本を投資したんだろうし、電通に就職したらやはりすべての資本を投資して仕事をしたのだろう。
それで本採用になって数か月で投身自殺というのでは、これは投資としては大失敗以外の何者でもない。もちろん歴史に名を残すという意味では東大と電通(と女子)というブランドは大いに役にたったわけで、高橋さんの存在はそのすこし風変りな名前とともに人々にはっきりと記憶されたわけだが、高橋さん個人としてはこれが考えうる限り最悪の大損である事は疑う余地のない所だろう(一方、もしこれがきっかけで電通の労働環境が不可逆的に改善をされれば、残った電通の社員や今後入社する新入社員はトータルでは得をする事になるような気がする。まあ、激務の職場というのは多かれ少なかれどこもババ抜き的な状況にあるのかもしれない)。
思うに、高橋さんの生き方というのは一つのハイイールド債に全財産をぶち込むようなものだったのではないだろうか?僕はそのような生き方しかできない人がいる事はよく理解できるし、リスクを取るだけ取って敗北するという生き方が悪いとは考えないが、 しかしひたすら上を目指すという生き方にはそれはそれでリスクがある、という事はもう少し理解されてもいいのではないかと思う。