不言実行するならば意識高い系でも構わないと思う
意識高い系という言葉がある。
どうも若いうちになにか、世間から注目を集めるような大きな事を成し遂げたい、という野心を持つ人を表す言葉のようである。
社会を変えたいとか、企業して金持ちになりたいとか、方向はいろいろだろうが、とにかく若いうちからの成功を目指すというのは大体の意識高い系に共通しているところだと思う。
この若いうちにというところにどうも意識高い系の特徴があるような気がするけど、ともかく意識高い系であるからには若いうちに成功しなければならないという前提がある。
少なくとも、成功するかどうかは別として、若いうちに人一倍の経験は積んでいなければならない、ということになっている。
若いうちから成功するとなると、手っ取り早い事から始めよう、となるのは当然だろう。
そのなかでも一番楽なのは、将来の夢を語るとかそういう事だ。
だから夢を語るというのを出発点にする人は多くて、これが意識高い系の特徴となっている。
これは基本的には他力本願的な考え方だ。
つまり、夢を語っているうちに自分の内外で何か、物事が大きく動いていくような変化が起きるのではないか、と期待しているのである。
自分の中で行動するためのエネルギーがないから、それを外から調達しようとするのだ。
しかしながら、夢を語るというのはあくまでも周囲を動員するためのツールである。
夢を語る事で自分を動員する事はできない。
もちろん、世の中にはエネルギーが有り余っている人がいて、その渦巻くエネルギーが夢を語る、という形で現れることもある。
しかし、もともとエネルギーがない人が夢を語った所で、そういう24時間エネルギーがみなぎっている様な人物になるなんて事があるはずもないのは少し考えたら分かることだ。
エネルギーがない人が絶対に心がけなければならないこと、それは不言実行である。
有言実行というのは、不言実行よりも格段に難易度が高い。
有言実行を目指すと、自分のペースで物事を進めることができない。
常に全力で突っ走ることが出来る人でないと、常に変化する状況に対応できず、有言実行は失敗する。
なによりも、夢を語るというのは一種の広報活動だから、夢をかたるということ自体にエネルギーを消費する。
だから、普通の人は夢を語るだけで自分のエネルギーを使い果たしてしまう。
意識を高く持つことは悪いことではない。
不言実行するならば、意識高い系でも構わないと思う。
もし有言する必要がある場合でもそれは必要最小限にとどめ、基本的には自分の行動によって方向を示していくことが重要だ。
普通の人が使えるエネルギーというのはそう多くはない。
有言実行、つまり意識高い系というのは、エネルギーを残量を気にせずにジャブジャブと使える人のための戦略だ。
そういう人にとって、エネルギーというのは高水圧の水道につながっている蛇口から出てくる水のようなもので、すこしひねればいくらでも簡単に調達できる。
普通の人はそんな蛇口はもっていない。
蛇口を精一杯ひねっても、ちょろちょろとしかでてこない。
もともとのエネルギーの水圧?に限度があるから、ライフハックかなんかでどうにかしようとしてもどうしようもない。
だから普通の人が何かをするには、まず省エネであることを心がけなければならない。
夢を語るなんてことでエネルギーを無駄遣いしてはいけないのである。
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