みんな選択肢を増やそうとして生きているけれども、選択肢というのは増えるものなんだろうか
人間の行動の基準として選択肢を増やすような行動をする、というものがある。
たとえば、教育などは特にそうで、親からみたらば子供の学歴が高いほうが人生の選択肢が広がるような気がする。
高学歴で人生の選択肢がたくさんあると、そのなかで一番有利な選択肢を選ぶことができるから成功するに違いない、という発想だ。
その上、子供が高学歴だと周りに見栄をはれるから、世の中で子供の教育にキチガイみたいになる人が多いのは理解ができる。
しかし、教育によって本当に人生の選択肢は増えているんだろうか?
例えば、医学部を卒業しないともちろん医者にはなれないが、医学部を卒業したあと土木作業員になり、そのまま土木作業員として一生を送る、ということは理屈の上では可能である。
でも、現実的に医学部を卒業した後で医者になるという以外の選択肢をとることは難しい。
医学部に進学した時点で、普通は医者以外になるという選択肢は消えている。
もちろん、医学部というのは医者になるために(あるいは医学者になることを目指して)進学するものだから、それ以外のそれ以外の進路が無くなっても何の問題もない。
それに、医学部に入学した後で何を専門として生きていくか、ということについては膨大な量の選択肢があるわけで、選べる選択肢が少なくて困る、ということはありえない。
しかし、職業の選択という観点から見ると、医学部に入っても選択肢は全然増えていない。
増えてないどころか、それ以外の選択肢はなくなっている。
もちろん医学部は極端な例だけれども、高偏差値の大学に進学をしたとしても話は同じようなものだ。
偏差値が75の学部に進学したとしても、就職の際に偏差値が30というか低すぎて測定不能な学力の人がつく職業から、偏差値が75の人がつくような職業までの中から好きな職業を選ぶ、というわけにはいかない。
偏差値を75までもっていって、偏差値75の学部で教育を受ける過程で、偏差値30の世界で生きる力はなくなってしまっている。
だから、選択肢を増やすというのは、選択肢を増やすというよりはむしろ選択肢を置き換える、というのが正確な言い方だろう。
パチ屋になるか土木作業員になるか配管工になるか、というような選択肢に代わって、循環器のほうに行くか、消化器のほうに行くか、それとも基礎医学の研究者になるか、という、(世間ではもっと魅力的だと思われている)選択肢を入手する、ということだ。
一般に、選択肢を増やせばその分だけ他の選択肢はなくなる。
このことは注意したほうがいいと思う。
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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
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