グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

小林麻央と女子アナの不思議

小林麻央が亡くなったことを受け、日本テレビで追悼番組が放送された。

過去のNEWS ZEROの映像が紹介され、NEWS ZERO(「ファミリー」なのだそうである)の関係者などが思い出話をしていた。

 

その中で、小林麻央の姉の小林麻耶のコメントが少しだけ映った。

ほんの数十秒なのだが、それを見て、やっぱキー局の女子アナはぜんぜん違うわ、と思った。

そして、小林麻央にキー局の女子アナは絶対無理だと思った。

そこには何か、絶対的な違いがあるように思われた。

どう見ても、小林麻耶はキー局の女子アナで、小林麻央セントフォースなのである。

 

二人とも出発点は似たようなものだったはずだ。

どちらも「恋のから騒ぎ」に出演したのがきっかけで、テレビ業界に入ったのである。

もちろん、小林麻耶はそれから長いことキー局の看板女子アナとして活動するわけだが、それにしてもどうしてこうも違うのだろうか。

 

思うに、普段、視聴者が見慣れているキー局の女子アナというのは、一般人臭が消えている。

キー局の女子アナには、なんというか、女子アナ以外の何者でもない、という、ある種の絶対性がある。

女子アナらしさ、というのが何なのかを言葉にするのは難しいが、とにかく女子アナというのは、キャリア女性でも水商売の女でもない何かで、それらの人たちとは雰囲気からして違っていなければいけない。

女子アナというのは、雰囲気からして女子アナでなければならず、少しでも一般人臭が残っていてはいけないのである。

 

キー局の女子アナだった小林麻耶は、この一般人臭を完全に消すことが出来ている。

でも、小林麻央はいつまでたっても一般人臭(もっといえば「恋のから騒ぎ」臭)が抜けなかった。

小林麻央がどれくらい女子アナになりたかったのかは分からない。

キー局はもちろん、地方局まで軒並み落ちた、という噂もあれば、キー局から声がかかったけれども断った、という噂もある。

案外、女子アナになることに大して興味はなく、もともとタレント志向だったのかもしれない。

しかし、小林麻央に、素人が素人以外のことを(完全に無自覚的に)やっている、という気持ち悪さがあったというのは事実だと思う。

 

女子アナが女子アナでなくてはならないのは、女子アナには威厳という要素が必要だからだろう。

女子アナというのは時として重大なニュースを伝えるという役回りなので、ある程度の威厳というものがなければ画面になじまない。

やはり、女子アナというのはキリッとした(?)部分がないとだめで、ただふわふわしているだけではいけないのである。

それに、テレビに出てくるのは各界の大物が多いわけだから、威厳のない人間には司会などが務まらないだろう。

女子アナの威厳というものは普段、親しみやすさに隠れているが、ナメられたら終わり(特に視聴者には)、というのは女子アナも同じなのではないだろうか。

 

これは多分に、個人のキャラクターの問題なのかもしれない。

多分、女子アナというのはナメられたら終わり、という事を本能的なレベルで理解していて、しかもどんな局面でも相手にナメられないという自信がある女でないと、キー局の女子アナは務まらないのだ。

 

そのような事を考えさせられた追悼番組だった。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。