グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

日本人が英語をペラペラ話すようになると、日本は夢の理想国になるんだろうか?

まず、日本人がだれでも英語ができるようになる、というのは、日本以外の国からすると素晴らしい。

なにせ、日本というのは日本語があるから手に負えない。

外国人にはアクセスが難しいのである。

大抵の日本人は日本語しかわからないから、外国人がなにか英語で言っても何を言っているのかわからない。

そして、外国人が言ったことが日本語に翻訳されるとニュアンスのほうも変わってしまうのである。

自分たちの言っている事が一部の例外を除き、エリート層を含めて直接的に伝わらない。

これは外国人にとっては本当にイライラする事だろう。

 

ある種の外国人にとって、日本語というのは日本社会の閉鎖性の象徴である。

外国人からすると、日本人というのは日本語しかわからないから閉鎖的な考えしか持てないように見える。

日本文学などの日本文化は大好きなのに、日本社会というか日本そのものが大嫌いな外国人というのは大量にいる。

たしかに、今の日本の現状をみるとそのような外国人が大量にいるというのは理解できなくもないが、とにかく日本嫌いの外国人というのは目立たないけれども大量にいる。

そして、そのような外国人にとって、日本がだめなのは、日本人が日本語みたいな、話者が権力関係や社会慣習に絡めとられていくような言葉を話しているからだ、というのは共通認識になっている。

もちろん、日本人が日本語を使うのをやめるべきだ、という事を考える外国人はほとんどいないだろう。

しかし、日本に批判的な外国人にとって、日本人が全員英語を話すような日本というのは今よりもよい日本であるだろう。

日本人の英語力の向上は間違いなく、外国人にとっていい事であるとみなされるはずだ。

 

しかしながら、日本人の英語力の向上が日本人にとっていい事であるかは分からない。

まず、日本人が全員英語ができるようになると、世界中からおかしな連中が押し寄せてくる。

そういう連中は、片言の英語で、とりあえず日本についてみればなんとかなるさ、と、なんとしても日本を目指そうとするだろう。

そして、日本人が英語をペラペラ話しているような日本では、エリート層もそういうおかしな連中の味方になっているに違いない。

というのも、そういう社会でエリート層が読んでいるのは、日本の新聞ではなくニューヨークタイムズかもしれないのだ。

もし、エリート層が日本の国境を大開放し、日本の高等教育を英語化してしまえば、世界中から移民・難民が殺到するだろう。

なにせ、日本に来て英語による高等教育を受ければ、日本がどうなろうと生き残る事ができる「世界市民」になる事ができるのだから。

結局、日本が平和なのは、日本では英語が通じず、日本語という(日本関連の業界以外では)何の役に立たないような言葉を覚えなければいけないからなのだ。

日本人の英語力が向上するという事は、日本人が当たり前、と思っているさまざまな安全を保障している障壁(リベラル派は差別というであろうが)を弱体化させる事でもある。

 

僕は、これからの世の中では、他と違っている事がますます重要になってくると思う。

それは国においてもそうで、日本に値打ちがあるのは、日本人が日本語だけを使って物事を済ませる事ができる国だからなのである。

日本人が英語を理解しないから、日本は安全だし、独自の文化が発達している。

英語が上達すると世界のトレンドに乗りやすくなるが、これだって必ずしもいい事であるとは限らない。

トレンドから距離を置くからこそ自分の頭で考える事ができる、という側面もある。

自分の頭で考える、という意味では、英語が出来るか出来ないかなどは関係ない。

実際、世界的に評価されているような人は大抵英語が苦手である。

よく、日本語では情報が遅れる、というような話をする人がいるが、僕はこれからは少しばかりの情報の遅れは問題にならなくなる、と思う。

コンピューターの性能が頭打ちになっているように、案外、これからの世界で進歩が緩やかになっていく事は十分ありうる。

そのような世界では、すこしくらい時間がかかっても、本当に独自なものを打ち出すことが重要になる。

そして、そのために日本人が必要とするのは、英語力ではなくて日本語の力なのである。

 

日本人の英語力の向上について考えるには、まず、それが外国にとってよい事なのか、それとも日本にとってよい事なのかを考える必要がある。

外国にとってよい事が日本にとってよい事であるとは限らない。

重要なのは、日本人の英語力というのはトレードオフだという事を理解することではないだろうか。

日本人が英語をペラペラ話すくらい英語が上達すれば、もちろん良い事もあるだろうが問題も生じる。

これまで帰国子女や留学経験者が何をやってきたのかを考えても、日本人の英語力が向上するほどいい事がある、と考えるのはあまりに楽観的、と言わざるを得ない。

日本人が英語を理解せずに済むというのは本当に素晴らしい事なのに、それがどれほどの幸運であるかはなかなか認識されない。 

英語の勉強法の本を電子出版しておいてなんだが、将来日本人の英語力がありすぎる事が問題になる事だってありえない話ではないと思う。

ある意味、日本の英語教育がこれほど腐っているというのは、本当に有難い事なのかもしれない。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。