生徒と教師の学校漬け
学校がブラック職場であるとして、教師の過労が問題になっている。
特に最近は部活にかかる負担が大きいとして、この負担を軽減するべく部活の在り方を見直そうという動きがみられる。
日本の学校の生徒は部活が事実上強制なわけだが、教師のほうも部活動は強制なのだった。
まあ、生徒が部活強制ならば教師が部活強制になっても不思議ではないが、生徒は部活を選べても教師は部活を選べない場合があるというのは大きな違いである。
すべての部活に経験のある教師を用意できるとは限らないわけで、未経験のスポーツを上の方から割り当てられた教師の中には勉強のために地元のスポーツ同好会などに参加する人もいるらしい。
激務の中で未経験のスポーツを始めるなんて教師の中には化け物じみた人もいるものだと驚くが、ともかく部活を運営するための負担が場合によってはとんでもないレベルになる事は確かだろう。
それにも関わらず部活の在り方は一向に変わらない。
昔から部活というのは教師にとって大変な負担だったはずなのに、日本の学校の部活は昔のままに続いているのである。
本来ならば教師というのは勉強だけを教えていればいいはずだ。
法律的にもこれらの部活動を義務付けるものはなにもない。
それなのになぜ、教育現場で部活はこれほど重視されるのか?
思うに日本の学校教育の特徴というのは子供を学校漬けにするという所にある。
つまり子供の生活というのは学校を中心にして回っている。
まあ、海外でも子供の生活は学校を中心に回っているだろうが、日本では特にそうである。
子供の頃を思い出してみよう。
学校以外の人間関係はほとんどゼロだったはずである。
だから、本当に子供の世界というのは学校しかないのだ。
そして子供を学校漬けの生活にする上で部活というのは非常に重要な役割を果たす。
部活に行かなければ授業にも出席しづらくなり、授業に出席しづらくなれば部活にも行きづらい。
学校というのはコミュニティーなのだ。
このコミュニティーから外れることは完全な孤立を意味する。
だから子供は授業にも出てくるし、部活にも出てきて学校中心に生活が回る。
子供が大人の目の届く所にいるので大人としては安心である。
一方、学校というのはコミュニティーなのだから教師もコミュニティーの一員である事が求められる。
だから、子供が学校漬けならば教師も学校漬けになる事が求められる。
高校野球の世界でも、強豪校の監督は教員免許を取得して教師になる事を求められる事が多い(大抵社会科の教諭である。野球の情報と一緒に授業に関する話もシェアしているのかもしれない)。
やはり、教師でないと選手との間に距離感が出来るらしいのだ。
大体、運動部の生徒にとって重要なのは授業よりも部活のほうで授業などは部活のオマケであるだろう。
その部活の指導者が教師でなかったとしたら、教師よりも教師でない人のほうが重要という事になってしまう。
それでは子供に学校を中心とした生活をさせる上で都合が悪い。
学校というのは常に、勉強を教える場所であると同時に勉強を教える事を中心にできない、というジレンマを抱える。
もし学校が勉強だけを教えるようになれば、その瞬間に学校は寺小屋のようなものに分解するだろう。
そして、もし学校が寺子屋のようになれば長期的には「子供は学校に行かねばならない」という信仰はもちろん、「子供は勉強しなければいけない」という信仰も崩壊する事が予想される。
皮肉な事に、すべての子供に教育を提供するためには学校は勉強を教える事を中心にはできないのである。
勉強というのは基本的には個人でやるものである。
勉強は個人でやりますから結構です、と言われはじめたら終わりなのだ。
だから学校は個人ではできない経験を提供することを売りにして運営するしかない。
そしてその個人ではできない経験で大きな位置を占めるのが部活なのだ。
学校の機能を見れば授業というのはむしろ部活のオマケである。
オマケではあるが無いよりはずっといいよね、というのが日本の教育なのである。
僕個人としては、学校が寺子屋のようなものになっても一向に問題はないと思っている。
もっというと、学校が今までのようなものであり続けることが出来るものなのか僕は懐疑的である。
そういう僕のような立場から見ると、部活に懐疑的、あるいは明確に敵対的な教師の存在には少しばかりの違和感を感じる。
部活を廃止・縮小すべき、というような事を主張する教師は、その事が自らの存在意義(および社会的地位)を根本的に変える可能性がある事を認識した方がいいと思う。
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