グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

情報と未来の自分

当たり前のことだが、自分がどのような情報を摂取するかによって未来の自分の状態は影響を受ける。

テレビでスポーツの実況中継をみれば後で試合の内容について色々考えるし、政治的な内容の番組をみれば政治について考える。

はてなブックマークのホットエントリーのタイムラインをみてエントリーを読んだり、はてな民によるコメントを読めば、当然それらについて考えるわけである。

何かの情報を摂取するということは、ある程度は未来の自分がどうあるかを選択するということだ。考えてみたら、どのような情報を摂取すると精神がどのような影響を受けるのかはかなりの部分予想が出来るのだ。

しかし、情報を意識的に摂取するのは簡単であるとは限らない。多くの場合、それらは完全に無意識的に行われるからである。

もちろん、情報の選択のうまい下手は個人によって大きく異なっていることが予想される。意欲的に生きている人は、不要な情報からは距離を置き、時間を何かを為すために使うだろう。僕のように無気力に生きている人は、何も為さずに漫然と情報を消費する日々を送っているだろう。

しかしながら、いづれにしても情報を摂取する以上、それが自分に何らかの影響を及ぼすことは間違いない。

最近、自分が普段摂取している情報は本当に正しいものなのだろうか?と思うことがある。

僕が普段摂取している情報は僕を無気力にするばかりなのではないか?僕が普段摂取している情報は僕を駄目にしているのではないか?それらの情報は確かに興味深いものではあるが、そうかといってそれらの情報が自分にとってよいものであるとは限らないのだ。

これまでの自分の人生を考えた場合、基本的には何も考えずに情報を摂取してきたことは否定しようがない。それは今の自分が置かれている状況にはっきりと現れている。

今の状況を正しく認識して、情報の摂取の在り方を根本的に改めなければいけないと思う。