グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

年齢について

最近テレビをみるようになったという話は以前にもしたけれども、テレビを見るようになってまず思ったのは若者がやったら出てくるなあ、ということだ。

まあ、僕も生まれて40年くらい生きているわけだから、人口動態を考えに入れなければ世の中の半分は僕よりも年が下なわけで、テレビで若者が目立つのは当たり前のことといえる。

これは少しわかりにくい表現かもしれないが、僕は今まで子供だったり若者だったことがない。

もちろん、僕も10代20代だったことはあるけれども、ただ年齢が10代20代だったから形式的に子供だったり若者ということになっていただけで、実質的には子供でも若者でもなかったと思う。

かといって、大人として生きていたわけではもちろんない。

思うに、昔から僕は大人でもなければ子供でもないような状態で生きてきたし、大人の視点とも子供の視点とも異なる観点から物事を見てきたと思う。

まあ、病人の人生というものはそのようなものであらざるを得ない所があるが、病気による制約が軽くなって以前にはできなかったことができるようになると(あくまでも以前の僕にはできなかった、という意味で健常者とは程遠いが)少し戸惑いを感じるのも事実だ。

子供のころから僕は視覚にトラブルがあり、その他の身体的な不調も合わせてこれは僕の日常に強烈な制限を加えていた。

これらの制限が軽くなると、もうそれだけで日常が希望にあふれた生活になる。

以前できなかったことができるというのはすばらしいことで、毎日を浮かれながら過ごしている。

だから、ある意味、僕は気分的には若者みたいになっているのだが、では自分が何歳になっているかというと40歳くらいになっている。

また、これがややこしいことに、僕は体重が学生時代と1kgも違いがないので雰囲気が学生時代とそれほど変わっていない(まあ、中身が変わっていないというのもあるが)。

いろいろあっておかしな状況になっているなあ、という感じがするが、考えてみたら日本の全人口を考えたら年齢の平均は僕ぐらいになるので年齢なんてどうでもいいのかもしれない。

僕が20代をみて「若いなあ!」とびっくりするように、80歳の人からすると40歳というのは相当若く感じるはずだ。

僕はこれまで病苦に耐えるのがやっとという時期が長かったので、病苦がなくなったらどうするか、ということについていままで考えてこなかった。

それで、病苦がそうとう軽くなっていろいろなことができるようになっても、これまで通りに惰性で生きている。

80歳の視点からすると、今の僕の生活はもったいないの極みだと思う。

もし僕が今後40年生きるとすると、40年後の僕は今の僕は何をするべき、と考えるだろうか?

病苦が引いて(少しはあるが)時間ができたので、これからの時間を何に使うかまともに考えないといけない。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。