グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

中途半端な人生について

これまでの僕の人生を一言で言うと、中途半端という言葉がもっとも適切だと思う。

中途半端と言うのは例えば、書店に行って本を買うかわりに何時間も立ち読みをする、ということだ。休みの日には(まあ、引きこもりだと毎日が休みだが)本1冊を買ってそれを読むだけで何かしらをした気分になるのに、ただ本屋で何時間か過ごしたのでは何をして一日を過ごしたのかはっきりしない。ところが、本1冊の値段などたかがしれているのに、僕が本をかうことはそれほどない。正直、僕は本を読んでいるよりも書店をふらふらと歩いている時間の方がおおい。

買い食いなんかもそうだ。僕は昔から菓子などを買い食いする癖があって、コンビニエンスストアやスーパーなどで金額のことなど何も考えずに品物を買っている。それでまあ、もちろんそういう飲食物はどれもそれなりにうまいことが多いのだが、なんというかそれらの飲食料品の品質を考えると中途半場だなあ、とも思う。それらのものは一部の例外を除き、まずくはない。しかし、それらのものを飲み食いして、ほんとうにうまいと思うこともそれほどない。

もうひとつ時間を消費するものにキュレーションサイトがある。たしかにキュレーションサイトをみてみると、価値がある情報の一つや二つは必ずあるし、キュレーションサイトにのっているどんなエントリーでも真剣に読めば意味のある結論を導くことができるだろう。しかしながら、それと同時に、キュレーションサイトにのっている情報は僕が書店をふらふらと歩く間に得る情報や、コンビニエンスストアやスーパーなどで買う菓子や清涼飲料水のようなもので、別にないならないでいいどころか、僕の将来を考えるとない方がいい位のものである。

ある意味、僕の人生は中途半端を極めることで成り立っているところがある。他の人たちが部活や勉強、社会人になってからは仕事に打ち込む中、僕は何もせずに生きてきた。これは別の言葉でいえば何もせずに生きることをしてきた、ともいえるわけで、僕の生き方はある意味では非常に徹底したものである。徹底した生き方をしていればそれがなんであれ当然成果があるわけで、僕はこれまでの人生にたいしてなんの後悔もない。後悔はないが、最近の僕の周りの状況を冷静に観察すると、もう中途半端な生き方を続けるのは難しいかな、と思うのも事実だ。

中途半端なものを消費するのはそれはそれで楽しさがある。しかし、消費には当然コストがともなうわけで、いろいろあって僕は中途半端なものを消費するためのコストを調達できなくなりつつある。僕は一時的に、立ち読み、買い食い、キュレーションサイトの閲覧をやめようと思う。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。