グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

苦労の押しつけが百害あって一利もないわけ

苦労の押しつけは百害あって一利もない。なぜなら、押しつけられた苦労を耐え忍ぶということは思考を停止させることに他ならないからだ。学校教育の掃除などは押しつけられた苦労の典型例だろう。学校の掃除は、そもそもなんで生徒が学校の掃除をしなければならないのか、学校の掃除をすることによって生徒の精神にどのようないい影響があり、どのような悪影響があるのか、生徒が学校の掃除をすることはよいことなのか、それともわるいことなのか、を問うことは許されない。生徒はただ、いわれたように掃除しなければならないのである。他の生徒に百円渡して掃除の代行を依頼するとか、もっと効率的な掃除の方法を提案するとか、教師に掃除の回数について交渉するということもできない。こんなことをやらせていたら、生徒の精神に悪影響があるに決まっている。学校の掃除をやめたら、いじめの数は減少するのではないだろうか。学校の掃除に限らず、押しつけられた苦労というのはだいたいそんな感じだ。押しつけられた苦労をただただ耐え忍ばなければならない。苦労を押しつけられるということは思考が停止するということだから、苦労をすればするほど人は馬鹿になる。実際、苦労を重ねた人間というのはどこか頭の働きがわるいというか、アンバランスであることがおおい。というか、僕のいままでの経験ではほとんど100パーセントそうである。これは、聡明な人間がどちらかというと苦労知らずであることの説明にもなっている。押しつけられた苦労がないなら、その分だけ頭の働きがよくなるのは当然のことだ。苦労の押しつけは、押し付ける側も押しつけられる側も疲れるばかりで誰も得をしない。これからの日本では、この苦労の押しつけを撲滅していくことが重要であることは間違いない。