グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

元奨

橋本長道氏による奨励会の本はとてもいい本だった。まず文章がよい。所々に鮮やかな「一手」がある。たしかにこれはラノベ作家にしかかけない本である。さらに本書が特徴的なのは、本全体の雰囲気である。挫折挫折と橋本氏はいうけれども重苦しさはあまりない。挫折の話なのであるが読んでいて風通しの良さ、ある種のすがすがしさを感じた。それは短期間で一気に書いた、という本書の成立事情にもよるだろうが、橋本氏が高校生になってから奨励会入りし、奨励会を19歳で去ったことも大きいと思う。奨励会に関する世間のイメージのほとんどは「地獄の三段リーグ」で形作られているのではないだろうか。才能あふれる神童が破竹の勢いで四段になっていくのを横目に、自分の将棋の勉強は停滞したまま年だけ食ってどうしよう、みたいなイメージだ。19歳で奨励会を去った橋本氏はこのような本当の泥沼を経験していない。そのことで、本書は他書にはみられない風通しの良さをもって奨励会を取り上げることに成功している。泥沼を経験した者しか書けないことがあるのはもちろんだが、泥沼を避けて通った者にしか書けないこともまたあるのだ。さらに、本書は今現在で三十代半ばの元奨励会員によって書かれたことにも意味がある。時代とともに奨励会の気風も変わってきている。今の奨励会員には、明確にプロを目指していない者が少なからずいるらしい。それらの会員は部活感覚で将棋を勉強しているに違いない。運動部に所属する部員が必ずしもスポーツ選手を目指しているわけではないのと同様である。当然、奨励会を去るときは部活を引退するようにして退会するだろう。奨励会を将棋部のすごいバージョンとして認識している奨励会員は相当に多そうな気がする。これまで多くの才能ある奨励会員を破滅に追いやってきた麻雀やギャンブルに関する記述もある。奨励会員はこれらのゲームを非常に得意とする人達であり、したがってこれらにのめり込みやすい、というのは納得できる説明である。橋本氏によると、奨励会の生活は誘惑が多いので、高校に行った方がかえって将棋の勉強に打ち込みやすいくらいだという。橋本氏の師匠である井上慶太九段に関する話もある。奨励会員ならば多かれ少なかれ、いろいろなものを背負い込んで生きていくことになるのはいつの時代も変わりないのだろう。本書が井上九段に向けて書かれたものでもあることはまず、間違いない。繰り返すが、この本はとてもいい本である。本全体の雰囲気に不思議な明るさ、すがすがしさ、風通しの良さがある。