グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

ブロックチェーンと共産主義

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180720-00010007-fnnprimev-sci

ここ最近一部で言われているブロックチェーンに基づく社会と共産主義というのは非常によく似ている。何が似ているかというと、国家というものはいずれ無くなる、という結論が最初にあるところが似ている。国なんてものがあるから資本家が悪事の限りを尽くすのだ、と共産主義者は考えた。共産主義なんていまからみたら馬鹿げた考えに思えるかもしれないが、共産主義が考案された19世紀は、ひどい貧困に苦しむ人がそこら中に溢れる一方で、戦争によって資本家は大もうけしていたわけで(ある程度は今もそうだが)、国家なんて不合理なものは人類の進歩とともに消え去るに違いない、国家は悪いことをしない共産党によって置き換えられるべきである、と考える人がでてきたのもまあ、必然といえば必然と言える。一方、ブロックチェーンに基づく社会というのはどのようなものかというと、これは共産党の代わりに世界に一つだけあるマーケットがすべてを決定するという社会である。つまり、国家みたいに悪いことをしない(ことになっている)マーケットによる独裁である。共産主義とおなじようにある種の独裁によって理想社会を建築しよう、というのがブロックチェーンビジネス界隈の人々が話していることだ。マーケットは常に正しい!全員がマーケットに従うべきだ、というわけで、共産党は常に正しい!国民全体が共産党に従うべき!と考えていた共産主義者マインドセットは変わらない。そして、このようなマインドセットの背景にはいつも、人間は科学技術によって進歩する、という信仰がある。共産主義者にとって資本主義が時代遅れであったように、ブロックチェーン界隈の人たちにとって中央集権を基にした社会は時代遅れなのだ。しかしながら残念なことに、科学技術は進歩するが肝心の人類の知性の方はというと一向に進歩していない。インターネットがいい例だ。あれこそ人類の知性の象徴だ。インターネットによって人類の見識は広がらず、相も変わらずドグマに基づいた議論ばかりが行われている。昔はやった表現を使えば、人類の知性というのは総じて「ひどいインターネット」なのである。インターネットでなんら進歩がなかった人類の知性がブロックチェーンで進歩するわけないだろう。そもそも、分散社会を機能させるには「中央」が必要なのは、資本主義の歴史を見たらいやというほど分かることではないのか?中央集権社会もまともに運用できないのに、分散社会が運用できるわけもない。