AIと民主主義
最近、AIなどの情報技術の発展によって、人々は「高度」なスキルを持った高収入の労働者と、やりがいもなくきついが機械ではできない低賃金労働者に二極化する、という意見をよく聞くようになった。低賃金労働者の仕事が本当に過酷でやりがいがないか(というのは、やりがいとか仕事のつらさは仕事のやり方によって大きく変化するから)、あるいはそもそも情報技術が社会の構造をひっくり返すだけ進歩するか、など疑問はあるが、それはさておき、僕が気になるのは、もし労働者が二極化したら、数的には「頭脳労働者」が何割で「単純労働者」は何割になるか、ということだ。なぜ気になるのかというと、年収100億の頭脳労働者も年収100万の単純労働者も、持っている票数は1人一票だからだ。もし、頭脳労働者一人につき単純労働者が99人、みたいな世の中だと(このような想定をするだけで、本当に二極化なんてするのか?と懐疑的になってしまうが)、いま信じられている道徳観は根底からひっくり返るだろう。さらに、テクノロジーが単純労働そのものに与える影響はどのようなものか、という問題もある。単純労働を機械の支援を受けて行うようになると、単純労働はますます頭脳労働みたいになっていくだろうし(それは実は今までもそうなのだが)、テクノロジーによって効率が極限まで高まった結果、ついには労働が(職場での人間関係はともかく、労働そのものは)楽になっていく、ということもありうるだろう。テクノロジーは政治のあり方に影響を与える。政治のあり方が変わらずにテクノロジーだけが進歩する、ということはあり得ない。だから、長期的には、言われるような極端な二極化は起きないのではないかと思う。