グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

マルコポーロと新潮45と幻冬舎

「日本国紀」を巡る幻冬舎社長と作家との対立から見えた「出版村の終わりの始まり」

https://news.yahoo.co.jp/byline/uemurayashio/20190518-00126415/

今回、幻冬舎の見城社長が、幻冬舎の人気作家(誰にでも人気があるとは言いがたいけれども)がウィキペディア剽窃していると批判している作家の文庫本出版をキャンセルしたことが話題になっている。この話を聞いて僕はマルコポーロ新潮45を思い出した。それぞれホロコースト懐疑論と「生産性」の話がきっかけとなって廃刊が決まった両誌だが、このふたつの雑誌が騒動になる前から赤字を垂れ流していたことはもっと記憶されていい。ようは、廃刊のきっかけがなく惰性でだらだらと続けていたところ、都合よく廃刊のきっかけが転がり込んだのでこれに飛びついた、というだけの話で、これを「言論弾圧」と大騒ぎするのは全くの見当違いである。さて、読書人ならば誰でも知っているように、幻冬舎というのはとにかく本が売れることを重視して出版活動を行っている出版社である。見城社長が、一部の玄人から高い評価をされていても5,000部印刷して1,000冊しか売れない津原氏の著作を出版することに抵抗を覚えたのも無理はない。それでも、出版に無駄はつきもの、4,000部のロスは幻冬舎で許容できないほどでもない、目先の利益よりも編集者の「熱狂」を大切にしよう、と我慢していたところ、自社の出版物にいちゃもんを付けはじめたのでついに切れた、というのが実際の所だろう。津原氏のような作家が作家活動を35年間継続できるのは、出版社の寛容と、津原氏のようなリベラル脳の持ち主が大嫌いな本が売れているおかげでもあるのに、これらを直接的に攻撃するのは天につばを吐くようなものである。今回の騒動で、見城社長に後悔は一切ないだろう。