グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

立川志らくは、間違っていると言うより幼稚である

悪魔だって(プ、という感じだけど、志らくは間違っていると言うより幼稚なんだと思う。ぼくは、亡くなった女の子がかわいそうだとおもいました!はん人は悪まだと思います!死ぬならば一人で死んでほしいです!まったく小学生と同じではないか。志らくは人情が云々というが、これだって疑わしい。「それにしても、犯人だって哀れだよな。何にもいいことがなくて終わっちゃってさ。犯人みたいなことを考えてる奴にいいたいよ。世の中だめな奴だらけ。だけどちゃんと生きている。世の中捨てたもんじゃねえよ」みたいなことが一言いえないのだろうか?そのようなことを言うのが落語家なんだと僕は思うのだが、この観点が欠落している志らくの人情は薄っぺらい。それでも、悪魔!悪魔!悪魔だあー!と喚くほどに世の中が平和になるならばいくらでも喚けばいいだろう。しかし志らくがそんなことをいくら喚こうが世界は変わらない。必要なのは、引きこもりなどで精神的に不安定な人の状況を理解して合理的な社会政策を提案することである。ここでも必要なのは「悪魔」の側に立つということで、行政、政治、あるいはNPOなどの関係者はみんなこれをやっている。それが責任のある対応というものだろう。一人で死ね、なんていったところで引きこもりが死ぬわけでもないし、駄々をこねるんじゃないよ。それとも、そのようなことは全部専門家に丸投げか?もしそうならば、志らくの生き方そのものからして当に幼稚と言うべきだろう。