グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

アニメと強者と弱者

https://www.j-cast.com/2019/07/27363699.html

「麻薬の売人以下」は「京アニのことではない」 純丘曜彰・大阪芸大教授、炎上コラムの真意語る

例の京都アニメーションの事件で世間の反応が微妙なのは、アニメというのはある種の弱者にとって有害なのではないか?という見方があるからだと思う。というのは、世の中ではちょっといろいろ迷惑なところがある人が熱心なアニメオタクだということがあるからで、世間の人々は実際にそういう人々を日々目にしているのである。かといって、アニメオタクがすべて迷惑なのかというともちろんそんなことはない。人間関係や世渡りにおいて少々不器用であっても、仕事や人格の面では全く問題ない人はたくさんいる。それどころか、世間で一人前、とされるような条件にあたるものをすべて持ち合わせているアニメオタクなんていくらでもいるわけである。そうなると、たとえば京都アニメーションの学園ものを見るのでも、誰が見るかによってその意味合いはまったく違ってしまう。アニメというのはいかにも分かりやすい弱者のためだけにあるのではないし、クリエイターも弱者であるとは限らない。これはアニメの世界を理解する上でかなり重要な論点だ。その一方で、世間に背を向け、自分の人生と稼ぎをすべてオタク趣味にブチ込んでいるように見えるオタクが消費者側にも製作者側にもいないとアニメというものは成り立たない、というのもこれまた事実であるだろう。あらゆるコンテンツは現実逃避的な側面があるのだろうが、中でもアニメは、この現実逃避性が非常に分かりやすく出るコンテンツである。このようなコンテンツについてどう考えればいいのか、というのはなかなか答えのでない問題だと思う。