グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

「表現の不自由展」はリスクに値するか?

今回の騒動で重要なのは、「表現の不自由展」はリスクに値するか?という点だと思う。もし、セックスワーカー像を展示して、「日本の明るい未来のために、このセックスワーカー像を展示することは必要で絶対避けては通れない。そのためならば自分は狂人に刺し殺される覚悟がある」と言ったならば、そこに問題は存在しない。あるいは、天皇の肖像を燃やしながら「日本の天皇制を考える上で、天皇の肖像を燃やすのは重要だし、二世代前の歴史的人物の肖像なのだから問題ない。しかし、もしもこの展示が原因で刺し殺されたとしても、それはそれで仕方がない」といったとすれば、やはりそこに問題は存在しない。問題なのは、暴力のターゲットになる覚悟もなくこのような展示を企画するという、世の中を舐めているとしかいいようのない態度である。こういうことをすれば殺人予告の一つや二つがあるのは当たり前で、なかったとしたらむしろその方が不思議なくらいだ。ところが、「不自由展」の主催者には、自分達が暴力のターゲットになること、さらには究極的には自分達が暴力のターゲットになることによって企画の目的は達せられるという覚悟はまったくみられなかった。「不自由展」などリベラル派が大好きな「ヘイト」にすぎないから、これが中止になろうがどうでもいい。しかし、どうしてもヘイトをやりたいならば、それなりの覚悟をもってやっていただきたい。