教養とバイアス
教養がある人というと、なんとなく朝日・岩波文化人が書いた本を読んでいる人という印象がある。それは実際にそうなのだろうけれども、もしそうだとすれば教養はある種のバイアスとともにあることになる。これもまたそうなのだと思う。これまで教養とされてきたものは、いかにも価値がありそうに見えるもので実際にそれなりの価値があるのだろうが、しかしそれは人間の本質を理解する上でどれほど役に立つのだろうか。教養を蓄積するにしたがって人文的な思い込みの方も強化されていくとなると、教養なんて無いほうが真理に近い、ということにもなりかねない。もしかしたら、いまの時代、本当に求められているのは、一度教養から離れてみる、ということなのではないだろうか。教養がなくても別に死にはしない。一度教養から離れてみることで初めて、新しい時代の教養のあり方がわかってくるはずだ。